言うべきときを知る者は、黙すべきときを知る

「言うべきときを知る者は、黙すべきときを知る。」

古代ギリシャの数学者 アルキメデスの名言です。


人は皆、自分の話を聞いてもらいたいのだと思います。

話を聞くよりも、話をする方を好んでいるのでしょう。


仮に、こちらは話す内容が、相手にとって興味のある内容だとしても、相手が一番興味を持っているのは、「自分が話すという行為」なのではないでしょうか。

仮に、こちらが話す側だとしても、話を遮って「自分の話をする」ことに意識が向くのではないでしょうか。

少しだけ引いたところで、相手の話を聞いていると、色々なことが見えてくるような気がします。


人は皆、「沈黙」を嫌うのなのだと思います。

「沈黙」を避けるべく、無理矢理話題を探して、話をしようとするのでしょう。

「沈黙」から得られるものは、少なくないような気もしておりますが。


押すのか、引くのか。

この匙加減が、会話の醍醐味のように感じておりますが。。。


色々な人と話す機会を通して、感じることがある。

「人の話を最後まで聞けない人」が、多いように感じる。

自分の話は、際限なく話し続けることができても、相手の話を最後まで聞くことができないのは、どうしてなのだろうか。


こちらの話に興味がないからなのだろうか。

こちらの話を聞く気がないからなのだろうか。

結論は出ていないが、「人の話を最後まで聞けない人が多い」という前提で、人と話すようにしている。


人の話を聞くことは、とても面白いと感じている。

相手が、どのようなことを考えているのか。

相手が、どのようなスタンスで会話に臨んでいるのか。

色々なことを感じることができる。


こちらから話す内容は、「相手から質問されたこと」のみに徹することにしている。

「YES」か「NO」で答えるべき質問に対しては、あまり多くを語らず、「YES/NO」で答える。

理由を聞かれたら、その理由を答える。


「失言」を避けたいという気持ちが、常にある。

人と会話した後、その会話を振り返ってみると、1つや2つ、必ず失言をしている。

失言のほとんどは、「話す必要のないこと」や「聞かれていないこと」のような気がする。


失言に気付く度に反省し、次回以降、改めるよう心掛けている。

そんなことを繰り返していくと、こちらからの質問で会話が進んでいることに気付く。

相手は、質問に答えるという形で、自分の話をしている。


時々、聞いてもいないことを話してくれたりもする。

時々、聞きたいのに聞けないことを話してくれたりもする。

結局、自分のことはあまり話すことなく、会話が終わっていることもある。

相手のことを理解するべく、会話を楽しめていると感じることができれば、相手も楽しんでくれていると解釈することにしている。


「言うべきとき」とは、「質問されて答えるとき」なのではないだろうか。

現時点では、そのように考えているが、今後、違ったことを感じるような気がしている。


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