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成長には準備が必要である。いつ機会が・・・

【 自己分析のための過去回帰。「進むべく未来」の先にある「約束の地」へ・・・ 】


「成長には準備が必要である。いつ機会が訪れるかは予測できない。準備しておかなければならない。準備ができていなければ、機会は去り、 他所へ行く。」

経済学者ピーター・ドラッガーの格言です。


「愛、自由、希望、夢(勇気) 足元をごらんよきっと転がってるさ」

ある楽曲の中で歌われています。

多分、転がっていると思います。

間違いなく、転がっています。

しかし、残念ながら、転がっているそれらに気付くことができずに、日々を過ごしているのだと思います。


「人生の最大のチャンスも、たいていは晶洞のように、一見普通の何の変哲もない姿をしている」

何の変哲もない姿をしているが故に、それをチャンスとして捉えることができないのだと解釈しておりますが。。。


「青天の霹靂」

突然湧いてきた出来事を「チャンス」のように感じてしまう。

そう感じた瞬間、

「待てよ。。。単なる「僥倖」だろう。。。」

と考えてしまう。

折角チャンスと感じることができたのに、余計な考えにより、躊躇してしまう。

躊躇し、飛び込むのをやめる。

飛び込まなかったが故に、飛び込んだ後のことは、わかり得ない。

もしかしたら、直感で感じた「チャンス」だったのかもしれないのだが。。。


世の中、このようなことが、足元に転がっている気がする。

「そんなうまい話はあり得ない。」

「儲け話は、信用するな。」

内容どうこう以前に、入り口の段階で拒否反応を起こす。


「うまい話には、必ず裏がある。」

「儲かる話なら、人に話したりしない。」

「常識」的に考えて、理にかなっていることを「常識」として解釈してしまう。


「チャンス」とは何かを考えてみた。

多分、後から振り返る話なのだと思う。


「今考えたら、あのときのあの出来事が、「チャンス」だったような気がする。」

「チャンス」とは、過去の出来事に対して使用する単語のような気がする。


「今回、人生最大のチャンスなので、絶対にモノにします。」

という用法は、間違いなのではないだろうか。


仮に「青天の霹靂」にて、何か思いがけない出来事に直面したとき、人は、どのように反応するのだろう。

10人いても、100人いても、何人いても、2通りの反応しかないような気がする。

受け入れるか、拒絶するか。

その2通りしかないような気がする。


受け入れる人と拒絶する人の違いは、何かあるのだろうか。

あると思う。

そこに絶対的な違いを感じている。


いつ機会が訪れるかは予測できない「機会」に対して、

「準備をしている人」と「準備をしていない人」

の違いのように感じる。


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