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「松島聡 コ。展」 感想

2023年10月12日、Sexy Zone 松島聡さんの初の個展「松島聡 コ。展」に行きました。

行った日のメモを見返しながら振り返ると「聡ちゃんは自分の経験や感情を外に出して眺める術を知っているんだろうな」と感じたのを思い出します。そして、自分もそうなりたいなと思ったことを思い出します。

ファンとして見るアイドルの聡ちゃんは笑顔で、元気で、優しくて、愛にあふれています。でも作品を見ていく中で、そんな聡ちゃんにも当然いろいろな感情や経験があるんだろうなと思いました。ただ、それに飲まれてしまうのではなく、きちんと外に出して眺めて、捉え直す力を持っているんだろうなとも思いました。

そんな聡ちゃんの聡明さが同世代としては眩しいです。しかし眩しいだけでは終わらないのが聡ちゃんの不思議なところ。ちゃんとそばにいてくれる気がするというか、隣か少し前を一緒に走ってくれているような気がします。

自分はすぐアイドルを北極星に喩えたり星座に喩えたり光に喩えたりしてしまうオタクで、その「いつもそこにあるのに手は届かない」みたいな距離感を含めてアイドルが好きです。聡ちゃんもそんな光の一人ではあるけれど、なんというか……もっと近いような気がするのです。背中を見せたり手を引っ張ったりするというよりも、隣で大丈夫だよと笑ってくれているような感覚。これは自分にとっては新しい「アイドル」の形です。

新しい「アイドル」像を教えてくれてありがとう。そして浮き沈みの激しい自分をも包み込んでくれる時間をありがとう。

聡ちゃんが連載「セクゾトイロハニホヘト。」の「アイドル」の回で答えていたことを思い出します。

僕はね、みんなにはそれぞれの人生を大切にしてほしいから「ずっとファンでいてほしい」なんて言うつもりはないんです。ただ忘れ去られてしまうのは寂しいから。(…)誰かの人生の1ページに刻まれるような作品を、時間を、これからも生み出したいと今は思っている。それが24歳の"アイドル・松島聡"の現在地。

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もしいつの日かSexy Zoneから離れる日が来ても、絶対に「コ。展」に行ったことは忘れない。そんな風におよそ来ないであろう日を仮定してそう思うほど、はっきりと自分に新しい光をくれた時間でした。

改めて、初の個展開催おめでとうございます。これからも聡ちゃんの感じていることや考えていることを作品を通じて覗かせてもらえたらなと、欲張りなことを書いて一度筆を置きます。


ここからは超個人的な作品の感想です。読み返すとけっこう暗い!!

でもドドドネガティブな人間が聡ちゃんの作品でちょっとフラットに生きられるようになったよ、ということを残しておきたかったので残します。
※自分のメモを頼りに書いたのでタイトルやキャプションに誤りがあるかもしれません。

行く前の話

今回は聡ちゃん担の母が当ててくれたチケットした。ファンとしては行きたくて行きたくてたまらなくて、インタビューを読むたびに楽しみな気持ちが膨らんで。

ただ一人の同い年の人間として、ちょっとだけ行くのが怖くもありました。聡ちゃんが「コ。」を大切に作った作品を見て自分がどう思うのか……。個人的に「自分らしさ」や「個性」について考えたときにポジティブに思えたことがあまりなく、作品と向き合う中でそういうことに思いを馳せることになりそうだなあ……と思うと少し怖さがあったのです。

当日、入場待機列で聡ちゃんからのお手紙が配られました。「あなたにも自分自身の人生を振り返ったり、何かを考えたり、想うきっかけになってくれたら嬉しいです」。この一文を読み、そしてその後に続いていた聡ちゃんの思いを読み、もう逃げられないなと思いました。

印象的だった作品たち

「いばらの道」

最初の部屋で一番に目に飛び込んできたのは「いばらの道」。近寄って見ると、キャプションの「『らしさ』を言い訳にせず、相棒にして」に強く目を惹かれました。「らしさ」は一般的にその人自身のこと。そして「相棒」は隣にいる存在なので、逆にいうとその人自身ではない。そう思うと「らしさ」を相棒にするとはどういうことか……。

キャプションではなく作品のほうを改めて見ると「いばらの道」は下のほうに白いマネキンが多々置かれていました。ふと、この白いマネキンたちが「らしさ」なのだろうかと思いました。

「コ。展」の動画やインタビューで、聡ちゃんは「何色にも染まれる白と、なれない黒」という話をしていました。もしかしてこの白いマネキンたちはこれまで手に取ってみた「らしさ」なのではと。とすると「らしさ」を手に取っては手放し、手に取っては手放しを繰り返して、どうしても変われない「黒」だけを積み重ねたのが「いばらの道」なのか?

……とぐるぐる考えているところでもう一度キャプションに戻ると、この白いマネキンたちは手放したのではなく「相棒にした」のかなとも思いました。

あくまで自分の場合ですが、「自分らしいってこういうことかも!」と一度思うと、ついそれに従って振る舞ってしまいがちです。つまり「らしさ」を言い訳にしてしまいがち。でも「相棒」くらいの位置に置いておけば、「らしさ」に縛られないような気します。一度手に取ってみて、違うかもと思ったら次の「らしさ(らしきもの)」に手を伸ばす。やっぱりこっちかもと思ったらもう一度拾ってみる。その繰り返しの中でどうしても手放せない「黒」が見つかるのかもしれない。それがあの黒い道なのかなと。

「『らしさ』を言い訳にせず、相棒にして」だと都度の選択が多く、それこそ「いばらの道」かもしれないけれど、そこを進んでいるのが聡ちゃんなのかな。そんなことを思いながら見ました。

「ウイルス」

タイトルだけ見ると少し怖く、白い部分に黒が「伝染」していく様子を切り取った作品として受け取りました。しかしキャプションとセットにすると見え方が変わるので興味深いです。キャプションを読むとこの「黒」は必ずしも悪い意味ではないんだなと気づかされます。

自分の余白にいろいろな言葉、つまりは考え方が入り込んでくる経験は自分にも覚えがあります。その経験を振り返ってみると、もちろん悪いことばかりではありません。好きなアイドルの言葉に感銘を受けたときなんかはまさにそうです。

そこまで考えて作品を見直し、そして「ウイルス」というタイトルに立ち返ると、いい影響にせよ悪い影響にせよずっと自分の中に残るわけではないよなあと思いました。一度「伝染」したらそのままというわけではなく、自分の中から消えることもあれば、形を変えて残ることもあれば、別の誰かに「伝染」することもある。そういう変化を肯定するのがこの作品なのかなと思います。

「理想の強さ」

これも最初の部屋の作品だったと。髪の毛が変化したようなトゲと「内からトゲが生まれたこともあると思う」というキャプションが重なったとき、ぐっと掴まれました。外から刺さったものではない、自分自身から生まれるトゲの存在を言い当てられたようで苦しかった。

あるんですよね、なんか、自分で作るトゲって。外から刺されたときもそりゃ痛いけれど、自分で作って自分で刺してるとき特有の痛みと馬鹿らしさったらない。聡ちゃんもそれを知ってるの? そう思って泣きそうになりました。

このまま見ていたら泣きそうで危ないかもと思ってその場を離れようとしたとき、地面に伸びた黒いトゲがめくれかけているのにつまずきかけました。あ、自分で作るトゲは自分だけじゃなく、周りも傷つけてしまうのかもしれない。実際はめくれたトゲでこけてもケガしてもないけれど、そんなことを思う瞬間でした。

「箸にも棒にも」

これも自分の感情を知られているような気がしてヒヤッとした作品です。

なんだか箸にも棒にもかからなくて、食事を己に許せないことが時々あります。食事の時間なんてなんのためにもならない、役に立たない時間だと。そんなことをしている暇があるなら箸や棒に引っかかるように頑張らないと。その気持ちを知られているような気がしました。

それでも「いただきます」をするのだと、聡ちゃんはキャプションで教えてくれました。引っかからない箸や棒がたくさんあって、それに頭を貫かれ、支配されようと、その箸を引き抜いて飯を食ってやる。いただきますと言ってやる。そう思いました。

「おはよう。」

毎朝ニュースサイトやSNSで見ている情報の中から自分は何を絡めとっているだろうか!? 幸せを絡めとれているだろうか!?!?
……と自戒する作品でした。しんどくても直視すべきニュースもあるけれど、わざわざしんどくなりにいかないほうがいいときもあるわけで。そのあたりは上手くコントロールできるようになりたいものです。

「深淵からこんにちは。」

二つ目の部屋の最初にあった作品。「深淵からこんにちは」という作品内のテキストを読んでなぜだか涙がこぼれました。「深淵」と「こんにちは」の組み合わせは違うジャンルの言葉がくっついているようで、そのズレになぜだか涙が出たのです。

この作品を見ていると悲劇と喜劇は表裏一体だという話を思い出します。これって悲劇なのかな、喜劇なのかな、わかんない、なんだこれ。そんな戸惑いを感じる作品です。深淵から上を見上げるだけが解決策ではなく、横に穴を掘ったり下に穴を掘ったりもできるんだよ。そう言葉では教えてくれているのに。足元にたまっている毛糸玉の先にちゃんと「上」があるようにも見えるのに。どうしてポジティブな作品だと捉えきれないのでしょう。

深淵から抜け出す術を教えてくれているけれどこの人は「深淵からこんにちは。」しているわけで。つまり深淵にいるというわけで。じゃあ深淵ってなんなんだ。そんなことを考えました。自分の心の奥底が「深淵」なんだとしたら、願わくは「深淵」とそれ以外を行ったり来たりする術を聡ちゃんに持っていてほしいし、自分も術を持ちたい。けれど一度深く沈んだときに帰ってくるのはそんなに楽でもなくて……。うーん、難しい。

でもたぶん聡ちゃんはそんなこととっくに知っていて、そして深淵から戻る術も作品内の文字にあった通り知っていて。だから「深淵からこんにちは。」ができるのかもしれません。深淵にいてもそう言えるのは深淵から戻れる人だと思うから。

「オペ」

「1997」と書かれたマネキンが聡ちゃん自身に見えて、思わずまじまじと見つめました。同い年なのですぐに生まれ年でピンとくるのです。もちろんファンなので分かるっていうのもありますね。

マネキンの後ろにあった、白いリボンで飾られた黒は「過去」だと解釈しました。黒が何色にもなれないように過去は変えようがないけれど、白いリボンで飾ることはできる。まさに「足跡を新しい形にする」ことはできる。そう伝えてくれているのではないかと。

一緒に行った母の感想を聞いたとき、この過去の捉え直しを「オペ(=手術)」と形容することに苦しさを感じる人もいるのかと驚きました。たしかもう少しマイルドなタイトルはありえたのかもしれません。たとえば「リペイント」とか。けっこうSexy Zoneを感じるワードですし。

でも、でもやっぱり「オペ」じゃないですか? たしかに受け手としては苦しく見えるかもしれませんが、そもそも過去の捉え直しってそういうものじゃないですか? もうそのままそっとしておきたいものの蓋をわざわざ開けて、傷口を眺めて、縫い直す。その作業はまさに「オペ」です。だからやっぱり「オペ」がしっくりきます。

その苦しさがしんどく見えるかもしれないけれど、その苦しい作業にも寄り添ってくれるのがこの作品だと感じました。だからこそある種ポジティブに自分は受け取ることができました。そのポジティブさは「足跡を新しい形にする」とキャプションで表現してくれた点からも感じます。desperateやsadもthoughtとしてまるっと肯定してくれるような、そんな作品だと思います。

「だれ?」

ガラスケースの中を覗き込んだとき、「自分はこんなにキラキラした仮面を持てているだろうか」「鏡に映る自分らしさってなんだろう?」と思いました。

しかし多面鏡の中で切り替わる光を浴びるマネキンを見たとき、自分らしさって一つじゃないんだと思いました。鏡に映る姿といっても一つではない。どの鏡を見るか、どの角度で見るか、どんな光を当てるか。それによって鏡に映るものは変わる。だから「ああ、今の自分はこうだな、こうしたいな」と思うところに従う、ご褒美をあげる。それでいいんじゃないかと。

この投稿の前半で「聡ちゃんはきちんと外に出して眺めて、捉え直す力を持っているんだろうな」という話を書きましたが、鏡を見ることもある種外に出す行為だと思います。自分という人間を鏡に映してみて、ちょっと距離をおいて眺めてみる。そんな作品に見えました。

「未来」

不思議と「アイドル・松島聡」を感じた作品の一つ。というのもソロ曲「Turbulence」を思い出したのです。乱気流の中を進んでいく、真っ白な、可能性に満ち溢れた姿。そしてその人がまとう服に流水や青海波の文様が描かれていてよかったと思いました。どうか聡ちゃんの未来に祝福がありますように、と願わずにはいられません。「『信じること』が最強の力だから」というキャプションを信じて、そんな未来を信じておきます。

「LUCAS」

Sexy Zoneのファンなら好きであろう、聡ちゃんの25年間を感じる空間でした。机の上の化粧道具、見覚えのあるグッズ、メンカラと思われる衣類、セクベア、バラを使った鮮やかなマネキン、フレブル、白馬を思わせる窓からの風景、そして「コ。展」に向けて作った最初の作品……。ここまで見てきた白黒の作品が松島聡という人の奥底なのだとしたら、「LUCAS」は「ファンが知っている聡ちゃん」だと思いました。

「松島聡」も「聡ちゃん」も一人の人間で対比すべきものではないのだけれど、さまざまな姿をさらけ出した上でファンも知るアイドルの、Sexy Zoneの松島聡も「コ。」のひとつとして肯定する。そういう作品だと感じました。そしてそれを展示の最後に置いてくれたのがファンとしては嬉しかったです。

「Draw your Life」

ああ、これがテーマだったのかと思いました。正直思ったのは展示を見終えてヒルズの階段を見たときです。作品を見た瞬間に気づけなくて申し訳ない。

一方的に聡ちゃんの表現したいことを表現して終わりではなく、見た人に「Draw your Life」と投げかける。ちゃんとこちらを見てくれている。そのインタラクティブな感じに「アイドル・松島聡」「ファンが知ってる聡ちゃん」を感じました。

そう投げかけてもらったからこそ、作品を見て終わりではなく、自分もこの先をどう過ごしていくか考えていかねば……と身が引き締まりました。でもそれは嫌なプレッシャーではなくて、もっとフラットにこれからの生活を考えていけそうだなという前向きな感情です。

おかげさまで食事を抜く生活を改善しようと頑張れています。グッズのノートに日記をつけて立ち止まる時間を取れています、不定期だけど……。あ、あとアロマディフューザーを置けるように部屋の掃除もします!! 買ってすぐに匂いをかいで、もったいないし部屋掃除してから飾ろう~と思って保管しているのです。部屋の掃除、します。

「コ。展」を見に行ったことは自分にとって間違いなく「次なる一歩」につながっています。はたから見て何か大きな挑戦をしているわけではないけれど、もうちょっとフラットに、私生活を大事にして生きてみるという個人的にはちょっぴり大きなことにチャレンジしています。

そんな機会をくれた聡ちゃん、改めて本当にありがとう。

配信も楽しみにしています!