頑張ったあなたを今夜も愛そう
12月30日、二度寝して気がついたらお昼で、ぼーっとしながらTwitterを見ていました。そんで流れてきた十束おとはさんのツイートで泣きました。
おとはすの歌もダンスもトークも文章もメイクもファッションも実益を兼ねた趣味も、それらは努力の末にあるものだと思うし、努力家なところも好きだし尊敬しています。でも無理はしないでほしいしおとはすが幸せなことが一番だし……と考えていたら、訳わからんくなって泣きました。
でもおとはすはオタクに泣いてほしくてツイートしたわけじゃないと思います。言いたいことがあるなら場所を選びつつ言葉にするだろうし、第一オタクを病ませるためのツイートはしないと思うんです。
それが思い込みで押し付けだって可能性もあるので、これはもう全部私の解釈の話です。
ただ、おとはすは今も
のスタンスだと感じているので、変に泣くのはやめて「おとはすはただでさえすごいのに休むことの大切さも知ったんだぞ!あと年齢を重ねるのも素敵なんだぞ!!」と叫ぶことにしました。
そっとしておいてほしいと書いてあるのをガン無視してますが、リプにはしないので許してください。
おとはすはただでさえすごいのに
休むことの大切さも知ったんだぞ!
あと年齢を重ねるのも素敵なんだぞ!!
■「〇〇が好き」の怖さ
ただ、「あなたの〇〇が好き」と言うのってやっぱり怖いことだよなと思いました。自戒を込めてその話も書きます。
「あなたの〇〇が好き」は「〇〇がなくなったその人は好きじゃない」にも見えて表現が難しいと、常々思います。
「あなたの考えてやってることなら応援します」という気持ちが根底にあるので、そうじゃなくなったら好きじゃないとかそういうことではないんです。
でも受け取り手にしんどいと思わせないようにしたいところです。都度注釈を入れるわけにもいかないので、どうしたらいいんですかね。難しい。受け取り手はそんなに気にしてない可能性もありますが、こちらの誠意の問題です。
私はただの会社員ですが、それでも「〇〇をやってて偉い」「〇〇なところがいい」「本当に〇〇だね!」と言われると、それを頑張らねばと思います。ファンの声をたくさん浴びる立場であれば、その思いはきっと何倍にもなるんだろうと想像します。
ルッキズムや能力主義に回収されない声援として「頑張ってるあなたが好き」にたどり着いたんですが、では「今は頑張れない」と思った推しを嫌いになるかというとそんなことはないです。
じゃあ私は、推しのどんなところが好きなんでしょうか?
何をもって「この人は私のアイドルだ」と感じているんでしょうか?
この記事を読んでから「自分の人生にパワーとときめきを与えてくれる存在」をアイドルだと考えています。
ただ、その考えが今日ちょっと深まりました。
パワーってただ前に進むためだけじゃなく、休んだり離れたりすることを決断するのにも必要なことです。むしろやめる決断の方が大変なときもある。本当は休みたい、やめたい、疲れてしまった。そんなとき、休むためのパワーをくれるのは、ひたすら走り続ける姿よりもゆっくりすることを教えてくれる姿なんじゃないでしょうか。
実際、「最近やっと『頑張らなくてもいいんだよ』って自分に言えるようになった」というおとはすの話は、私にそういう気づきとパワーをくれました。
そう歌っていたのはまさにおとはす、フィロソフィーのダンスの4人です。
おとはす、今年もありがとう。
年末年始は少しゆっくりできるんでしょうか……なんていちオタクが気にすることではないですね。
勝手ながら「ゆっくりできてたらいいなー」と思ってしまうのですが、どうか気にしないでくださいまし!
来年も健康で素敵な1年になりますように。