作詞にみる二次元の中島/三次元の菊池

SZ VOICE #004でのこと。大人Sexyな曲として選ばれた「Wonder Love」について、中島さんが「具体性のある歌詞を俺はあまり書かない」「想像できる歌詞って素敵だなと思うんですよね」とコメントしていました。

え、それめっちゃ菊池さんじゃない????

■ 作詞にみる中島さんと菊池さんの違い

たしかに中島さんは、ご本人もおっしゃる通りあまり具体性のある歌詞を書かないですよね。あまり日常感がない。「ディア ハイヒール」はドラマっぽいかな。あとは「カレカノ!」の「恋の単位」くらいか。いや「単位」って言葉が日常ワードなだけで「恋の単位」に日常感あるのかは怪しいですけど。

対して菊池さんの歌詞はそのままドラマにできそうです。「Cocoa」なんかまさにそうですよね。

行きの並木道は いつからか帰り道になった

完全に実家を出た息子が並木道歩きながら帰省するシーンです。ペジコンの演出に引きずられている自覚はあります。

共作詞の「Happy End」だってそうです。

静かに閉まるドアの音 口には出さないおかえりの言葉
(……)
寝るの 同じベッド
二人が作る平行線上 別々の夢を見るHAPPY END

相手が家に来たけど会話もせず、同じベッドで寝るけど思いが重ならない……ってなんか不倫ソングじゃないですか?
夜明けの街灯に青白く照らされて引き返そうって思うんですよね??
ただならぬ恋なのでは????

え、わからん、アイドルとして考えるとただの恋愛がただならぬ恋になってしまうという話?
それはそれでヤバ…………。

話がそれましたが、こんな風に菊池さんの歌詞やソロ曲に想像をかき立てられるのは私だけじゃないはず。シーンが思い浮かぶ歌詞を書くなあと思います。誰かの日常、もしくは思い出として存在してそう。

■ 二次元の中島/三次元の菊池

菊池さんは歌詞から生身の人間の日常や思い出を感じるだけでなく、ご本人も生身の人間感がある方だなと思います。嘘をつけないとよくおっしゃってますしね。存在が三次元。

一方、中島さんは「ケンティー」としてアイドル像を築いている。実際はキラキラ王子様なだけじゃなくて天然なところや熱血なところがある方ですが、それすらも漫画みたいだなと思います。存在が二次元。

■ 異なる夢の見せ方

じゃあ中島さんはキラキラしていて菊池さんはキラキラしていないのかというと、そんなことはありません。それぞれ輝きを放つアイドルだし、夢を見せてくれるなあと思います。

ただ、その夢の見せ方は逆だと感じます。

たとえるなら菊池さんは旅先の人です。旅先って旅行者にとっては異世界ですし非日常感にあふれていますが、現地の人からするとそれが日常です。でもその日常が、こちらからするとどこかまぶしい。圧倒的に異次元ではないから入っていけるように見えて、実際は入っていくことができない。

もしくは高校の同級生でもいい。「ぎゅっと」の特典映像で中島さんが菊池さんを「青春クリエイター」と評していましたが、たしかに菊池さんはもう二度と戻れない青春時代の人という感じがします。すぐそこにあったはずなのに、今じゃもう手が届かない。そんな距離感だなと思います。まあ菊池さんがすぐそこにいたことは実は一度もないんですけど。

じゃあ中島さんはどうかというと、異次元の人です。「1000年先から君を守るために来た」と言われてもまあそうかなと思えてしまう。夢の世界を夢の世界として信じさせてくれます。

中島さんのすごいところは、その異次元性に説得力を持たせられるところです。「ケンティーが言うからそうかな」感。あの真っ直ぐな目と迷いのない振る舞いによって、どんな衣装も演出も楽曲も言動も正しく感じられます。万物を「正」にする力がある。

先日この話を考えながら母に「ケンティーってこの世の理じゃん?」と言ったら「は????」と言われました。それはそうか。

またも話がそれました。
何が書きたかったかと言うと、二人は夢の見せ方、アイドルとしてのアプローチが異なるんだなと、歌詞を通しても再認識したわけです。

やっぱり「2つのアプローチ」なんですね……。

でも「人間・中島健人を見せたい」という中島さんの意気込みはかっこいいし、占いで「可愛くすれば売れる」と言われた菊池さんの今後も気になるので、路線転換はアリですよね! 公式が正解!!

別界隈の友人に「逆でも一緒でも嬉しいんでしょ」と言われたのを思い出します。そうです。