さよならした夢からそっと目を逸らして綺麗に消えることを願う
推しである十束おとはさんが3月にフィロソフィーのダンスからの卒業を発表し、11月に卒業した。
推しの卒業とSexy Zone「Dream」のこと
私は彼女の卒業とSexy Zone「Dream」をずっと重ねて聞いている。
この曲の「君」には、おとはすのことを当てはめるのとは別で、叶わなかった夢のことを当てはめてもみた。「B.I.Shadow単独公演とか、1回だけでもやらせてもらえたらよかったなぁ……なんて」というメンバーの菊池風磨くんのインタビューと「それじゃさよなら 僕らのたわいない日々よ」が重なって、恋焦がれた夢の歌でもあるんだなと思った。
アイドルの、アイドルという夢との別れ
ただファンとアイドルの別れ、アイドルと叶わなかった道との別れとしては聞いていたけれど、アイドル自身がアイドルとして輝く夢と別れる情景は思い浮かんでいなかった。
しかしこの曲は「アイドルにとってのアイドルであるという夢との別れ」としても聞けるんだなと思うことがあった。
昨日、Sexy Zoneのマリウスくんが卒業を発表した。発表後のインスタライブでは先日行われたドームツアーや夏のアリーナツアーの話にもなり、本編最後に歌われた「Dream」についてメンバーが話すシーンがあった。
「Dream」を聴いた瞬間に本編最後はこれだと思ったという風磨くんのコメントを受けての、ケンティーとマリちゃんの「いいピリオドが打てるよね」という会話。ここでいうピリオドはマリちゃんのSexy Zoneからの卒業と芸能界からの引退であり、Sexy Zoneの第1章の終わりのことなんだなと思った。
もうピリオドを打つからこそ「たとえどこかで会えたとしても そっと目を逸らして歩き続けるでしょう」なのか。そうして今進むべき道を進むのか。
ひとつの夢とさよならをして、次の夢に向かう。進むべき道を歩く。そんな歌でもあったんだなあと思った。
さよならした夢が綺麗に消えてほしいとすら思う
進むべき道に進むための歌として聴いてみると、さよならを受け入れたファン目線での聞こえ方も変わってきた。
「Dream」にこんなフレーズがある。
これまでは推しとの日々について「夢みたいに綺麗に消えてOk」と思えたことはなかった。「そっと目を逸らして」はいたけれど、消えていいなんて思えなかった。
今でも推しとの日々が消えてほしいとは思わない。でも、もう叶わない夢をいつまでも引きずる気持ちはいっそ綺麗に消えてほしいとすら思う。
おとはすの歌って踊る姿をもう見られないこと。ベストフォーとしてフィロソフィーのダンスを見られないこと。おとはコールができないこと。今回の衣装のこだわりを語ってもらえないこと。特典会でライブの感想を話せないこと。
卒業後にこそもらえているものだってたくさんあるのに、もう叶わない夢ばかり数えて枕を濡らす夜がある。
おとはすは卒業後、会社で働きながらも配信やSNSは続けてくれている。グループとの関係が円満なんだろうなとも感じさせてくれる。卒業した本人もグループも、それぞれの輝く姿を別の形で見られているというのに、私は時々どうしようもなく寂しくなる。
そんな寂しさや未練が夢みたいに綺麗に消えてくれたらいいなと思う。
そうでないと前に進めないから。どうしようもないところに囚われ続けていたら歩き続けられないから。
そうして後ろ向きな気持ちが綺麗に消えて「きらめいた景色だけが微笑み続ける」になったらいい。きっとそんなことはすぐにはできないけれど。今はまだできないけれど。
フィロソフィーのダンスに関してもSexy Zoneに関しても、自分のペースでこのどうしようもない気持ちが綺麗に消えることを願うしかない。どちらもメンバーとグループの未来が明るいと感じるからこそ、みんなが幸せであってほしいと思うからこそ、ちゃんと自分も次に行きたい。