夢の話

事の発端は、コーピングリストに買い物が入ってるなあって思ったところから。
これはよくないな、どうにかして直さないとね、と思いながら眠りについた。

その日、夢を見た。
簡単に言うと、私の趣味や嗜好はいい子でいるために作ったものだと気付いて、大泣きしていた夢。
自分らしさなんてものはどこにもなかったんだと、ただただいい子であることを目指して作られたんだと。

そう言われるとたしかに私の趣味は基本的に聞こえが悪くない。
博物館や美術館に行くことや読書、資格勉強を空いた時間にしている。
とても聞こえがいい。

そういうものを選んでいるのか、選ばされているのか。
振り返ると勉強しろ読書しろなど、知識に関することを多く言われていたように思う。
子供の頃にいい子でいられなかった自分を悔いて、罪滅ぼしをしているのかも、なんて。

夢の続きを言うと、大泣きしていた私はいつも温かいメッセージをくれる友人に慰められていた。
ああ、これも心の深いところを映し出しているのかな等と起きてから思った。

折り合いをつけることが難しい。
私は限局性健忘があるのか、本当に大変だった時期のことを何も覚えていない。
そういう話をしたことがあるな、程度の事実しか話せない。
辛かったと周りに訴えていたことがあったなという事実からつらかったと言っているが、何が辛かったのかも怖いことも何も知らない。

私は忘れることで心を守ってきたんだなと強く思う。
感情も昔ほど感じることはないし、ストレスを感じるのは心ではなく、身体症状が出てからだ。
さして困らないけれど、感情を表出しないといけない場面においては、こういう感情を感じるのが正しいのだろうなと推測して出しているのでそれはめんどくさい。

時折わからなくなる。
演じている、というと格好つけたがりの若い子みたいに聞こえるが、心のままに生きてと言われたらなにもできない。
その場に合った自分らしさを私なりに解釈して演じていると思っている。
この年になって、本当の自分はどこなんだろう、なんて思わないけれど、自分がわからないという思いはある。

穏やかな日が来ることを心から待ち望んでいる。
何にも怯えず、ただ時間を過ごせる日々がほしい。

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