ゆづくん
2020.06.10 36日目。
実家の近所に、僕の祖母と仲良しのおばちゃんがいた。
しょっちゅうお互いの家を行き来しては、お茶をしていた。
イメージ通りの大阪おばちゃんで、どこで息継ぎしているのかわからないくらいのマシンガンおばちゃん。
とにかく間を嫌う人で、一度話し出すと手が付けられないので、基本的にローテンションの僕としては、正直苦手なタイプだったけれど、僕はいつも積極的にそのおばちゃんと顔を合わせに行っていた。
会うと、だいたいお小遣いをくれるから。
毎回ではないけれど、1万円くらいくれることもあった。
テンポよく相槌を打つだけで1万円貰える仕事。
そう思って、いつもリズムゲー感覚でおばちゃんに挑んでいた。
クリア報酬が貰えなかったときは、僕の相槌の間が悪かったと思い、どこがいけなかったのかを考え、念入りに調整して次回挑戦に臨む。
お小遣いがピンチの時は、こちらから出向いたりもした。
おばちゃんの家は、僕の家の並びの筋とは1本隣の筋にある。
なので、おばちゃんの家の前をうろついたり、自分の家の前でできる素振りをわざわざ隣の筋まで行ってやったりしていた。
当時はさりげなくやっていたつもりだったけれど、今考えれば、これ見よがしすぎるし、魂胆見え見えだ。
それでもおばちゃんは、ずっとお小遣いをくれ続けた。
そこまで僕に良くしてくれるのには理由があった。
詳しい事情は分からないが、おばちゃん夫妻にはお子さんがいなかったことと、羽生結弦が大好きで僕が羽生結弦に似ているという理由だった。
おばちゃん以外から羽生結弦に似ていると言われたこともないし、ファンがそれなりに憤慨するくらいには似ていない自覚がある。
それでもおばちゃんは、僕にいつも”ゆづくんゆづくん”と嬉しそうに言ってきた。
眼鏡を変えるべきだと思っていたけれど、お金のために甘んじて受け入れ、思春期で家ではムスッとしていることが多かった僕なのに、おばちゃんと話す時だけは、多めに笑顔を振りまき、少し寄せにいった。
お金には人を変える力がある。
大学進学で家を出てからは、しばらく会うことはなかった。
しかし、久しぶりに帰省した時に、おばちゃんと会う機会があった。
金欠大学生だった僕は、欲望丸出しで往年のゆづくんスマイルを炸裂させたつもりだったが、久しぶりだというのにおばちゃんはお小遣いをくれなかった。
おばちゃんが眼鏡を変えたわけじゃない。
変わったのは僕だった。
僕は、一人暮らしを経て、気付かないうちに垢抜けていたのかもしれないと感じた。
複雑な気持ちだった。
もう僕が笑って相槌を打っても、誰もお小遣いをくれないんだと実感した。
あの日僕は本当の意味で大人になった。
下宿先に戻ってからは、心を入れ替えてバイトに精を出した。
最後に
改めて考えると、おばちゃんはあの日、これから社会という荒波に繰り出す僕のことを思い、断腸の思いで1万円を握りしめていたのかもしれない。
そういえば、社会に必要なことは全ておばちゃんから学んだ気がする。
間のいい相槌、愛想笑い、愛嬌、我慢・・・
お元気にされてますか?
ゆづくんは元気です。
末永くお元気で。
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