赤飯

2020.07.19 75日目。

赤飯が好きだ。

もち米の甘みとごま塩の相性の良さで、おかずなしでいける。

だけど、あまり人前で食べづらい。


なんかおじいちゃん臭さもあるし、なにかと意味を持つ食べ物というのもある。

男の子だから、後半は気にする必要はそこまでないけれど、それでもなんかめでたいイメージがある。

「なんかいいことあったの?」って聞かれたら、返答に困る。

いいことなんて年一あればいい方だ。

だから、「いや、別に。」と返すと、

きっと、「え、なんもないのに赤飯いってんの?おじいちゃんやん。」

と返ってくるに違いない。

だから、お昼のピーク後のコンビニのおにぎりコーナーで、人気者の鮭やたらこたちが出払った後も、切なそうに引き取り手を並んで待つ赤飯おにぎりから、僕はいつも断腸の思いで目を背ける。

申し訳ない気持ちはあるが、やはり人前で食べることはできない。

その代わりと言っては何だが、家で一人でご飯を食べるときは積極的に食べるようにしている。


彼らも可哀そうな食べ物だ。

普通においしいのに、変な意味合いを持たされたせいで、白い目で見られ、遠ざかられる。

自分とどこか似ている気がして、感情移入してしまう。

好き同士なのに、関係を公にできない。

嫌いになれたら、どれだけ楽だろう。


でもやっぱり好きだ。

幼い頃から好きだった。

我が家は、父子家庭で祖母がご飯を作ってくれていた。

だからか、赤飯率が一般家庭に比べて、ずば抜けていた。

普通のご家庭でシチューが出てくるくらいの割合で赤飯が出てきた。

普通、赤飯は先発ローテーションに入ってくる選手ではない。

故障者が続出してようやくチャンスが回ってくるくらいの位置づけだと思う。

しかし、祖母は赤飯を中5日の鬼ローテで起用し続けた。

結果、僕は赤飯が好きになった。


しかし、ある日、弁当に赤飯が入っていた日があった。

僕にとっては、別に珍しいことではなかった。

部活の昼休み、夢中で赤飯を頬張っていると、顧問の先生が、「お、赤飯か、ええなー」と、声をかけてきた。

何も知らない僕は、純朴な笑顔で「はい!」と返したが、どうも顧問の意味深な笑顔が気味悪く感じた。

その次の正月、親戚から赤飯の正体を知り、全てが繋がった。

その後、僕の弁当から赤飯は忽然と姿を消した。

僕が祖母に頼み込んだからだ。

好きなものを弁当に入れるなと言うのは、とても辛かった。

祖母もきっと辛かっただろう。

赤飯にも罪はない。

赤飯に意味を持たせた大人が悪い。


赤飯好きはとても肩身が狭い。

いつか赤飯ブームが到来する日を心待ちに、今日も人目を忍んで独り赤飯を食べ、苦虫を噛み潰す。


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