見出し画像

トリコロールと共に30年

 30回目の開幕ホイッスルがなりますね。私が中学2年生の頃に始まったJリーグも節目を迎えました。地元に強いチームがあることはなんとなく知っていましたが、これほどまでに応援を続けるとは思ってもみませんでした。
 チームのことを知ったのは地元テレビ局でやっていた「日産サッカーダイジェスト」から。豊川浩アナウンサーの熱い語りに魅了され、見始めました。そこから、木村和司、水沼貴史、井原正巳、松永成立といった選手を知ることになりました。
 それを経て、1993年5月15日のあの試合を見たのです。NHK総合テレビで見た風景はすごいものでした。新聞で観戦チケットの広告を見ていた自分はなんで応募しなかったのだろうと後悔したものでした。そして、あの雰囲気はまるで異国感が漂っていましたし、魅了されました。新しい時代の予感をしました。
 それ以降、地上波で放送した試合はチーム関係なく見ていましたが、やはりトリコロールは特別。生中継はもちろんのこと、たまに深夜に録画中継もあったのですが、それも欠かさずビデオに録画して見ていたものです。
 ただ、いわゆるJリーグブームが終わると地上波でやる試合も少なくなり、マリノスの情報は「キックオフマリノス」(以下キクマリ)に頼りました。キクマリはJリーグ開始当初は豊川浩アナウンサーが勤めていました。そして、自分の記憶では月一回の1時間放送だったような気がします。だから、すごく待ち遠しく楽しみにしていました。その後は女性のフリーアナウンサーさんが一人で進行していたり、水沼貴史さんと中願寺香織さんが進行したり、鈴木正治さんと鷲尾春果さんが進行したり、いろいろMC陣も変わりましたね。今でこそ、波戸康広さんと小山愛理さんが長期間に渡って進行して、やっと落ち着いたとほっとしております。
 私が初めて試合を見たのは2000年になってから、大学生のころでした。初めての試合は三ッ沢球技場でのヴェルディ戦でした。区の広報紙でチケットプレゼントに応募したら当選したという何というかびっくり案件でしたね。その試合は中村俊輔選手のループシュートゴールを見たり、当時ヴェルディに所属していた中澤佑二選手のヘディングゴールを見たり、当時としては珍しい点の取り合いでマリノスが勝ちました。点の取り合いは引き付けるものが強いですね。それをきっかけにスタジアムに通うようになりました。
 一番見に行ったシーズンは2013年。ホームゲームだけでなく、アウェイ戦もかつてないほどに参戦しました。成績も良かったですし、勝利の快感はたまらなかったですね。でも、終盤戦に失速、目の前で優勝を逃した瞬間も見届けました。その後の天皇杯決勝も運よくチケットを手に入れて、改修前の国立競技場で優勝を見届けたのは大変良かったです。あの試合では今はヴェルディにいる端戸仁選手のスペース明けの巧みさに惚れ惚れしました。そんなこともあり、仁選手のことは今でも感謝しているし、ちゃんとチェックもしていますよ。
 2015年になると転機が訪れます。嫁との出会いです。4月4日のアウェイ柏レイソル戦はオフィシャルのバスツアーで参戦したのですが、スタジアムの席がたまたま隣にいたのが嫁でした。ちなみにその試合は喜田拓也選手の初スタメン試合でした。試合は先制されるものの伊藤翔選手の同点ゴールと下平匠選手の逆転ゴールという劇的な形で勝利を納め、帰路のバスは大変盛り上がりました。嫁とも連絡先を取り合って、一緒に見に行く試合も多かったものです。
 その1年後にめでたく結婚をしました。そして、新婚旅行は天皇杯ヴェルディ戦で高知まで行きました。そこでは、マリノスの選手と同じホテルに宿泊することになり、夫婦で興奮したものです。ちなみに行きの飛行機はヴェルディの選手と同じ飛行機でした。渡辺皓太選手もいました。
 そして、嫁を介して多くの方と知り合いになり、ぼっち観戦からグループ観戦にシフトしていきました。人見知りの自分にとってこれは大変有意義なことであり、嫁には感謝です。
 それを積み重ねて試合観戦も続けていましたが、2019年からはコロナ禍になりなかなか毎試合行ける状況にはなりませんでした。見に行ったら行ったで、会社からもいろいろ言われたことも事実です。
 2021年12月になり、新たな会社に移りました。今の会社は寛容な感じで試合を見に行くこともそれほど縛られる感じでもないので、久々に年間チケットを購入しました。
 まもなく2022年シーズンが始まります。医療従事者やエッセンシャルワーカーの皆様への感謝を込めて自分なりに精一杯応援していきたいと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?