しめ縄づくり
うちの近所にこの辺りでは珍しい天神様のお社がある。お社の中にあった木の札には化政年間のものがあったので、その頃にはさかのぼるらしい。小高い山の中腹に鎮座ましますその麓には昔、寺子屋があったそうだ。
そのお社の鳥居のしめ縄が傷んできていて、今年の秋に新しくした。しめ縄を作ったのは天神様の向かいのお宅のご主人である。寄り合いでしめ縄の新調の話が出た時、私は一緒にやってみたいと申し出た。
しかし、その後連絡がないな?と思っているうちに電話があったことに私が気づかず、結局その方が一人で作ってしまっていた。
ということがあってから、いつか注連縄作りを教わりたいと思っていて、早い方がいいのでこの年末に作りました。
まず、わらを叩いて柔らかくする。わらは注連縄の師匠のうちの田んぼでとれたものだ。
この叩く道具をなんと言うのだろう。白土三平の漫画によく出てくる、「おとう」がわらを打っている道具である。師匠は「歳を取ったので振り上げるのが大変になった」(という意味のこと)と言って、上からゴムで吊って腕力をなるべく使わずに済むように工夫していたが、わらを打つその速度と強さはすごい迫力でビビった。
柔らかくなったわらをふた束取り、縄をなっていく。真ん中辺りで太くなるようにわらを足しながら長くする。予定の太さと長さが得られたら、足すわらの量を調節してだんだん細くなるようにし、端を結んでひとまず二本撚りの縄ができる。そこにもう一本撚り合わせていく。先の2本と同じような太さになるように調節しながら進み、予定の長さに達したら終了。教わりながらわら打ちと縄ないで2時間ほどかかった。
ちなみに、注連縄は日常用の縄が「左ない」であるのに対し、「右ない」となり、螺旋の向きが逆となる。しかし、もともと「左ない」もやったことのない私には逆だからやりづらいという感覚もなかった。
出来た一本のほかにわらももらったので、家で一人で作ってみる。
まず、わら打ちのあの道具である。たしかうちの小屋のどこかに転がっていたはずだ。
薪割りの台の上で打ち始めたが、師匠より若いのにすでに非力な私は、すぐにゴム吊るしシステムを導入した。
わらを叩くにあたって、BGMにエド・シーランを選んでみた。Bad Habits などがいい。逆に言うと、それくらいしかテンポが合わなかった(Shape of You もいいか)。
わらがやんべに(いい塩梅に)柔らかくなったら、縄ないに移る。
ずっとエド・シーランも何なので、BGMを神楽の音源にした。気分が改まります。
わらで注連縄を作るのは、言うまでもなくここが稲作文化圏だからだ。同じ日本列島でもアイヌ文化には稲わらで作る祭具はなかったと思う。私は米は作っていないが米は主食だ。日本には稲作の起源を語る神話がある。それで稲わらで神様に捧げるしめ縄を編んでいる。自分で作らない人も、スーパーで稲わらのしめ縄を買う。米を食べている限りは。そういう時代が、いつまでかは分からないがまだしばらくは続くだろう。
だいたい覚えた通りにできて、2本作れたので合計3本となる。
上の太めの2本を、二十八日に山にあるふたつのお不動さんにお供えした。二十八日はお不動さんの日である。下の細いものは家の神棚に。
来年がいい年になりますように。