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岩手県立美術館での展覧会が始まりました

岩手県、早池峰山麓を拠点に制作活動をしている絵描きです。
昨日から盛岡市の岩手県立美術館で企画展「IMAをうつす7人ー岩手の現代美術家たちー」が始まりました。私は大小16点の絵画作品を出品して参加しています。

IMAをうつす7人 —岩手の現代美術家たち—
学芸員が選んだ、岩手で「いま」活動する7人の作家たちの多彩な作品をご紹介します。
会期:2022年11月26日(土)ー2023年2月12日(日)
開館時間:9:30ー18:00(入館は17:30まで)
休館日:月曜日(1月9日は開館)、12月29日-1月3日、1月10日
場所:岩手県立美術館

タイトルのIMAとは、Iwate Museum of Art 、つまり岩手県立美術館の略称です。それと「いま」をかけたわけですな。しかし開館から20年、この略称は浸透していないと思うよ。私の周りでは略して「ケンビ」と呼んでいるが、それも美術をやっている人だけ。一般には県立美術館に一度も行ったことがない人も多い。仕方がありませんね。私も県営体育館には行ったことがないしその略称は知らない。
そしてこの展覧会は略して「IMA7」(イマセブン)と言うのだと学芸員さんから聞いて、#IMA7で検索したら何か知らんリンクがいっぱい出てきたので、私は黙ってタブを閉じました。

そんなIMA7展(いまななてん・今からそう呼んだ)ですが、県美の学芸員と館長が1人1アーティストを選んで企画したものです。展覧会は7人のアーティストの熱量でたいへん密度の濃いものとなっています。
会期中にはアーティストトークやワークショップもあります。展覧会ウェブサイトでご確認ください。
私のドローイングワークショップ「うごきのかたち」は2023年1月8日(日)、アーティストトークは1月14日(土)です。

自作について少し触れておきます。
今回私は2005年から今年2022年までに制作された作品の中から16点の作品を出品しています。いずれも早池峰山やその周辺の自然を歩く中で目にしたり思いついたりしたものやことを絵画として形にしたものです。
出品作品はいくつかのシリーズに分けられます。

・「不連続面の研究」シリーズ から3点
早池峰山などで撮影した蛇紋岩の表面の写真を拡大して描くシリーズです。蛇紋岩の碧翠色の模様を見つめていると吸い込まれそうになる、その感覚を絵画として体験してみたいと思い描き始めました。2019年のNHKプレミアム「にっぽん百名山 早池峰山ー宮沢賢治が愛した花の山」に案内人として出演したときにも取り上げて頂きました。今回は「不連続面の研究010」(縦194cm×横324cm、2009年)、「不連続面の研究014−017」(194×521.2cm、2020−21年)、「不連続面の研究019」(227.3×363.6cm、2022年)の3点を出品しています。「019」はF150号2枚組の最新作で今展が初出となります。

「不連続面の研究010」 水可溶性油絵具 キャンバス 194cm×324cm 2009年

・「不可視の領域」シリーズから5点
網膜状で知覚されている映像をそのまま描こうとするシリーズです。りんごやカリンなど静物をモチーフにしています。

「不可視の領域 りんご」 油彩 キャンバス 31.8×41.0cm 2016年 個人蔵

・早池峰神楽のドローイング 5点
岩手の民俗芸能である早池峰神楽を見ながら描いたドローイングです。

「大償神楽 山の神 2006年4月23日」35.0×26.0cm  墨 和紙 2006年

・風景をもとに抽象化した作品 2点
「岳川」(2005年)と、「山めぐり」(2012年)です。

「山めぐり」 162.0×130.3cm 墨・顔料・金銀泥・箔・膠 キャンバス 2012年

・「Terrain」 
最近始めた試みです。肉眼では知覚できない、風景の部分的クローズアップ写真をもとに描いています。

「Terrain」 130.3×194.0  油彩 キャンバス 2022年

今回は、岩手県立美術館の天井の高い展示室で、蛇紋岩はじめ大作がかつてなくのびのびと飾られています。この機会にどうぞご覧下さい。

それぞれの作品について、作者による解説を会場の壁に貼っています。その内容をこちらにも掲載します。ご興味を持たれた方はどうぞ会場に足をお運びください。

作品のうちのいくつかの画像はウェブサイトでもご覧いただけます。
yoshihikoyaegashi.com

作者による作品解説

岳川 (2005年) 
 美術大学を卒業する頃から、現実の風景を元にした線や色面からなる絵を描いていた。「岳川」は早池峰山を源に南西に流れる岳川の上流域のある場所の風景が元になっている。現場でスケッチをしたのちに、それは見ずに即興的に線を描き始めて完成したドローイングを拡大して作品とした。

山めぐり (2012年)
 早池峰山を中心とする早池峰連嶺を歩いて感じた山のイメージを描いたもの。山頂を目指す登山というよりは山中に分け入り山ふところに抱かれつつ徘徊する感覚。それを私は巡礼になぞらえた。山の中を歩くときの、地図上の現在位置を上から俯瞰で見る平面的な意識と、遠くに見える尾根を目印にする視点とが入り混じっている。

「不連続面の研究」シリーズ  
 2006年から描き始めたシリーズ作品。早池峰山を歩いている時に足元の蛇紋岩の模様に眼を惹かれた。その色や形を至近距離で覗き込んでいると、その模様しか見えなくなり、さらにはその岩石が生成された海の底深くにダイブしていくような感覚になる。その没入感を、身体を超えるサイズの絵画に再現しようと思った。岩石の表面を写真撮影しその写真を拡大して描いている。

 タイトルの「不連続面」は、早池峰山の蛇紋岩ができた地球の内部、マントル上部と地殻との境界面を指す言葉から名付けた。

Terrain (2022年)
 早池峰山南面の周氷河地形に雪が積もったところを撮影した写真を拡大して描いた。本来肉眼では小さくしか見えない部分を望遠鏡で覗き込むと、視野はその映像だけで充たされる。視野いっぱいに広がる自然の抽象的なパターンを絵画として再現するという点で「不連続面の研究」と共通した意識で描かれている。

「不可視の領域」シリーズ
 2012年に早池峰山を下山中に思いついて始めたシリーズ。視覚をそのまま再現しようとする試みである。人間の視覚では視野の中心部のごく狭い部分にのみ焦点が合い、周辺部では像はぼやけて見えている。そのぼやけた映像をぼやけたまま描こうとし、「見えない部分を描く」という意味で「不可視の領域」と名付けた。しかし周辺視野は焦点が合っていないので非常に描きづらく、再現が難しい。そして後に実は「見えないから描けない」のではないということに気がついた。
 焦点の合っている中心視野で見た鮮明な映像も、キャンバスに描く瞬間には「見えていない」。眼はいま描こうとする筆の先の画面を見ている。焦点が合っていようがいまいが、描く時には描こうとする像は見えておらず、画家は一瞬前の記憶を描いているのだ。つまりすべての再現的な絵画は記憶の再現だということになる。そして焦点が合っている像は記憶しやすいために再現がしやすく、ぼやけた像は記憶しづらいために再現が難しいのだ、ということに気がついた。画家は記憶を再現するための知覚と手技の訓練を重ねているので、一度でも焦点を合わせて見てしまうとはっきりとした像を記憶してしまい、ぼやけた像を再現することがさらに難しくなってしまう。

 翻って考えてみると、「不連続面の研究」や「Terrain」は、視野全体から中心視野の映像をトリミングしてオールオーヴァーな大画面に再現することで、その部分を注視している状態を擬似的に体験させようとしているということになる。

早池峰神楽のドローイング
 動きを描くことがどだい不可能である。私がここで描いているのは動きの軌跡と言える。ひとつのドローイングは多くの場合、舞の中のある動きの連続を描いており、一枚の中に何秒間かの間の軌跡が記録される。拍子が変わり動きが変わるとそのドローイングも終わる。描く時には手元は見ずに舞い手だけを見ている。手元を見るとその間は舞が見られないのでもったいないし、手元を見ないで描くほうが生き生きとした線が描ける。このときは対象をずっと見ているので記憶を描いているわけではないが、モーションキャプチャのような厳密なものでもない。私は任意に選択された身体の部分の動きの軌跡と量感を持った形の両方を描きながら、頭から足先までの全体が画面におさまるように、手元を見ずに統合している。


 いろいろと書きましたが、これらの解説はあくまでも作者の意図の一部を言葉にしたものにすぎず、できた絵そのものとは関係がありません。絵の命は言葉にあらわせないところにあります。
 また、私が眼を惹かれて描きたいと思った自然の姿、それをキャンバスに絵の具で描いた瞬間にそれは元の自然でも何でもなく、絵でしかありません。そこに絵を描くことのばかばかしさとやめられない面白さがあります。結局のところ私が見たいのは、まだ見たことのない絵画なのです。

八重樫 理彦

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