元ヤングケアラーは虐待サバイバーの夢を見るか?


 飛ぶ鳥を落とす勢いで流行している「ヤングケアラー」に、多分当てはまる。それも、ケアラーになったヤングと、ヤングをケアラーにしてしまっている家族、両方。

 親の感情失禁の面倒を10歳くらいから見ていたら18歳になる頃には立派な鬱になっていた。みんなよく言う、ある日突然急に全身がぴくりとも動かなくなって重たいゼリーの中に閉じ込められたような気がした。
 自分の人格形成を片手間にして、親が死んだり親に殺されたり親を殺したりしないよう、それらの脅威に弟と妹を晒さないよう、仕事をしながら家事もしていたもう片方の親が倒れないよう。かすがいであろうとした。その甲斐もあって家族関係は現在概ね良好だし、みんな五体満足。
 確かに親に殴られることはあったが、認知症の老人に介護士が噛み付かれるとかそういった系統のそれがいわゆる虐待とか、非虐待児童とか、こどもSOSホットラインとか、そういうものに当てはまらなかった。私が「そう」だったときにヤングケアラーという単語はなかった。
 気付かぬうちに付いている切り傷をふわっとした四つ足の妖怪にしてかまいたちと呼ぶように、名前をつけて定義する事は、家庭の中の妙な役割意識や私の自分自身の人格の薄さ、気持ちの悪いような優しい空気、そういうものを枠にはめてしまうのが正しいかはわからない。
 幸い、現在私はヤングでもケアラーでもない。
 だから今の私を何と呼ぶのかわからない。

 虐待サバイバーという言葉があり、界隈がある。
 親に殴られた、追い出された、死ねと言われた、産まなければよかったと言われた、ゴミ袋に詰められた。それらは行為だけみれば虐待だったのだろうし、それをサバイブした私は虐待サバイバーにあたるのかもしれないけれど、理由のない暴力の嵐を耐え抜いた強い強い彼らと、親自身にも制御できない吹き荒れる感情の波が凪いだらいつもの親がそこにいて宿題を見てもらってたまにはご飯を作ってくれていたわたしは、やはり別物だと思う。
 誰も悪くないのだ。
 誰も悪くなかった。
 耐え切れなかったわたしの弱さが悪かったのでもないのだ。多分。

 病んだ身体を引きずりながら、親からは辛い思いをさせてすまないと言われ仕送りを受け取りながら、最低賃金の清掃のアルバイトさえ休んでばかりで転々としているわたしは、必要な掃き溜めなのだろうか。

 被害者だと言えたら、私を叩いたことがある親を悪として断罪できたら、二度と関わらないと決別できたら、私はそちら側に行けるのだと思う。住民票を移した後閲覧制限をかけるとか、ライフハックが発達しているように思える。

 幸せに同居できず、しかし生活を支援される私は今きょうだいと住んでいて、多分彼らにケアをさせてしまっている。不本意な悪循環の中でも彼らは姉の私を慕ってくれているのだ。確かに昔のお姉ちゃんはヒーローだったかもしれないけど、今は産業廃棄物なのだ。と言うかただのニートで、パラサイトシングルで。

 家族との関係がみょうな感じで、人格形成もふわっとしていて、精神を病んでいる。
 家族と離れたコミュニティで人間関係を築くのは、何から取り掛かったらいいのかさっぱりわからない。バイトはすぐ休むせいで転々としているし、高校は最後の方に揉めて不登校だったし、大学は中退したし。
 こんな卑屈な人間、友達に欲しいタイプじゃない。

 己の視野の狭さが憎いけれど、親の背中をさすって薬を飲む水をコップに入れて持って行った優しさみたいなものも失いたくないのだ。

 

現在、仕事を在宅ベースに移行中でものすごく貧困なので、いいなって思ったら何か頂けるととっても嬉しいです。

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豊かに暮らすことを試みます