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2024/4/16 📚日本における中小企業の歴史『多様性と持続可能性の視点で考える中小企業論』


1.日本の工業化のポイント

日本の工業化、大企業の成立の流れは、チャンドラーが分析したアメリカの場合とは異なる形であった。まず、日本の工業化は欧米から100年ほど遅れてスタートした。また、流れとしても、国家が「富国強兵」を掲げたことで産業構造が変容していった点が特徴的である。国家主導の重工業、名家豪商を発展させた財閥等の商社業、江戸時代からの絹織物業が、欧米への輸出産業として発展していった。

2.日本の企業形成の歴史

会社制度は、江戸時代には近江商人など一部のみでみられる珍しいものであった。それを、明治維新により海外渡航経験者と政府が普及させたことで、広まった。1889年には、株式会社に相当する「組合会社」が54%となった。そして、持ち株会社が複数の子会社に産業を経営させる形態が表れ、寡占的な地位を占める富豪が登場し、1900年代前後の「財閥」の卵となった。

橘川武郎により、所有と経営の分離の観点から、戦後の日本の企業形態は以下の3つに分類された。

①経営者企業である大企業
②資本家企業である大企業
③資本家企業である中小企業

②については、戦後に中小企業から大企業へ成長したパターンである。戦後はこれらの企業や、戦争中に軍事製品に携わった大学生の存在により、拡大再生産の循環がおき、戦後復興をもたらした。

ヴォーゲルは、日本企業が国際競争力に秀でている要因として、①終身雇用②年功序列③企業内組合という3つの独特な経営方式をあげた。

3.商店街の形成の歴史

商店街形成の歴史は、社会になじめない若者の存在から始まった。戦後日本の政府の課題は、失業者をなくすことであった。当初は大都市の製造業に雇用が吸収されることを理想としたが、人数が予想より多く、また大都市の製造業は効率性を追求するため、多くの人を雇うことはなかったことから、若者があふれてしまった。そこで、就職できなかった若者や、田舎から都市に出てきて工場に配属されたものの機械的な非人間的労働環境になじめなかった若者が、都市で自営業をはじめ、商店街を形成していったのである。

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