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地上波の深夜映画は楽しかった。気がする。そんな記憶がある。

高校時代からずっと、眠れない深夜に映画を見たり、ドキュメンタリー番組を見てきた。サメが暴れたり、モンスターが暴れる映画もあれば、不条理なヒューマンサスペンスドラマもある。普段なら見ることのない話題のドキュメンタリー番組も、気が向いたら見るようにしてきた。何年かかけてひとつの裁判の経過を見ていき、控訴しないことで無罪が確定するところを見たりすると、ドラマのなかでも言われたりする有罪率の高さに触れられたりもして、世の中はたくさんの「ノンフィクション」にあふれているのだなぁ。なんて当たり前のことを感じたりする。

昨日までは社会の一員としてたしかに存在していたはずのひとが、突然世間を騒がせる犯人として扱われる。そんなニュースやドラマや映画を見るたびに、本当に僕は彼らとは違う人間だろうかと問いかける。

僕もきっと何かで世間を騒がせてしまうことがあれば「まじめ」とか「おとなしい」とか言われる。小学生の頃はからかわれて泣かされて怒って追いかけたりもしていたから、人の表現によっては「怒るとなにしでかすかわからないところがあった」なんてふうに言われるのだろう。なんて思う。

深夜、家族が寝ているリビングにいるからこそ、あれやこれやと考えながらゆっくりと、冷えた自問自答を繰り返すことができる。夜中の読書がはかどるのと似たような理由なのかもしれない。

昨日は「鈴木先生」という映画を見ながら、ふと考えを巡らせていた。映画の内容には触れないが、ところどころで自分自身の人生と重ね合わせて思うところがあった。午後9時から見ていたらたぶん深くは考えない。親が起きているし内容的にチャンネルを変えてニュースやバラエティ番組になってしまう可能性が高い。深夜にやっているからこそぶっ刺さる。

20代の頃はもっと深夜に映画がやっていた。コメディもサスペンスもホラーもヒューマンドラマもえっちなものも、アクションも。B級もC級も多かったように思う。後味の悪い映画だってあったし、邦画も洋画も、時間つぶしのような感覚で、虚空のようなからっぽのこころを埋めてくれた。

専門チャンネルがあるし、ケーブルやネット配信もある。でも、地上波でCMを挟みながら、チャンネルを変えながらも戻っては見るを繰り返していたあの時間は有意義だったように思う。

通販番組も、買わずに楽しむ方法もあるのだけれど、やっぱり、ストーリー性のあるもののほうが好きだ。そんなふうに思った。

過去を美化する記憶なのかもしれないけれど、でも昨日見た深夜映画を思い返しながら、いいなぁと思ったのだから現在進行系の話だと思う。多分。


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