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【エッセイ】愛車に変わった瞬間

 社会人祝いとして父から貰った車は、今年で5年目になる。
 走行距離の少ない中古の車ではあったが、おそらく10年ほど落ちている。初めて持つ車はそれくらいで十分だろう。当時の私はそんなこと1ミリを考えていなかったが。


 今日、その車に不調を感じて車屋さんを訪れた。先日、ブレーキを踏んだ時に急にブレーキが軽くなって、あまり効いていないように感じたからだ。踏んでも踏んでいる感覚があまりなくて、強く踏み込まないと不安になる。ブレーキが効いていないということは無いのだが、いつか効かなくなってしまうかもしれないという不安に一度襲われると、おちおち運転していられない。通勤で高低差のある峠を越えるので、早めに見てもらいたかった。


 穏やかさの中にひょうきんさを兼ね備えたおじさんに事情を説明し、車を預けた。中の様子を見るにはタイヤを外す必要があるとのことで、私は待合室で待つことになった。平日だが待合室には先客が一人、スーツを着たお姉さん。組んだ膝にパソコンを乗せてカタカタと打ち込んでいる。たまにかかってくる電話に「っしゃっすー」と発してから、「そうです、そうです」、はたして上司と話しているのか取引先と話しているのか分からなかった。


 事前にネットで調べた情報としては、修理にそれほど時間はかからないと書かれていた。大体1時間から2時間。故障している箇所にもよるが、どこの情報も大体そのくらいだった。時間が掛かるようであれば代車を借りて仕事に向かいたいと思っていたが、そのくらいの時間で終わるのなら待っていた方が慌てずに済む気がする。急に仕事を休んでいるので多少の迷惑をかけているとは重々承知しているが、これで慌てて事故など起こしてしまえば元も子もない。とりあえず落ち着いて、車の容態を見てもらうのが最優先だ。


 30分ほどして現れたのは、受付のおじさんとは別の人だった。
「~~させてもらったんですけどぉ」の言葉からすぐに察せられたが、どこが悪いのかはっきり分からなかったらしい。ブレーキオイルも漏れていないので、これ以上のことはディーラーに行ってもらった方が良いと言われたところで、ここがディーラーではないことを知った。ブレーキオイルを変えることはできるがそれで良くなるかは分からないので強制はしない、とは言われたが、3か月後に迫った車検でブレーキオイルを変えるのであれば今してしまっても問題ないだろうと思い、お願いした。正直ブレーキオイルがどうとか言われても知識がないのでよく分からない。それで改善する可能性があるのであれば、試してもらうのみである。


 1人になった待合室でテレビを見ながら、そろそろ買い替え時なのかと考えていた。父は以前の車を20年ほど乗り続け、母も20年弱同じ車に乗っていたので、車はそれくらい乗り続けるものだと思っていた。しかし、どうしても事故や故障により買い替えざるを得ないことはある。数年前に後ろからの追突を受けた事故車ということもあり修理した個所の塗装が剥がれてきていたり、雪によりアンテナが曲がっていたり、とても絶好調とは言えない。加えて今回の不調である。修理内容によっては買い換えた方が良い場合もあると書かれた文字を思い出す。


 私がこの車を選んだのは単純、見た目が好みだったから。
 父から車のカタログを見せられ、どれが良いか流し見していた時、ぴたりと目が留まったのが今の車だった。ちょっとつり目に見えるライトに惹かれた、加えて名前も可愛らしい。
「ふとした時にはあるけれど、探そうとしたら見つからない車」
 そう言われて、私はより一層この車に惹かれた。その言葉の通り、初出勤の前日まで車が納車されなかった。ぎりぎりまで探してくれた車屋さんには感謝。

 そして愛知からようこそ、私の車。


 できる限り長く乗り続けたいと思っている。それは、この車に一目惚れしたからだし、初めての車だし、なにより、父から貰ったものだからだ。
 私はずっと使っているものを買い換えないことが多い。パジャマだったり、バスタオルだったり、靴だったり、傘だったり。まるで「買い換える」という言葉を知らなかったかのように。
「服に穴が開いた」でもまだ着れないことは無い。
「傘の骨が折れた」でもまだ雨はしのげる。
 それが本当に使い物にならなくなるまで使い続けるのだ。

 つい先日買い換えた枕。おそらく小さい頃から使用している枕は、言葉にできないほど汚れている。あまりにも汚れている。洗っても絶対に落ちないと分かっている汚れがびっしりと付いている。しかし、それを「買い換える」という発想がこの間まで出てこなかった。それは、私が無意識に「使い続けたい」と思っているからだと思う。買い換えるつもりはない。だってこの枕は、両親が私のためにくれたものだと思っているから。つまり、枕は私のものではないのだ。両親のものであるという認識だった。


 それは、車も変わらない。この車は父が私にくれたものだが、私のものではないのだ。車検証の名義は父だし、契約も父の名前だ。車を使っているのは私だとしても、私は「貰った身」にすぎないのだ。


 ブレーキオイルの交換が終わり、私は車の元へ向かった。やはり変わっている感覚は無い、と作業してくれたお兄さんは言っていた。しかしブレーキが効いていないことは無いので乗っても問題はないが、心配ならディーラーに行くことを勧められ、今日の作業は終了した。週末に父の知り合いのディーラーに見てもらおうかと考えながら車に乗り込む際、受付のおじさんがタイヤを抱えて頭を下げてくれた。穏やかな笑みだった。


 時間は昼前。午後出勤で行けそうだと思いながら車に乗り込み、エンジンを掛ける。そしてブレーキを踏み込んだ時、ブレーキにしっかりと重みを感じた。あれ、直ってる。何度踏んでもスカスカしない。ちゃんと、ブレーキを踏んでいる感覚がある。

「お兄さん、ブレーキ、直ってます」
「ブレーキオイルを変えたので、多少は変わっているかもしれませんが、ブレーキの効き自体に変わりはありません。私は毎日この車に乗っているわけではないので踏み込み具合の違いは分かりませんでしたが、きっとそれは、毎日運転されている方が一番分かることだと思います」


 車検証の名義が父であっても、購入したのが父であっても、この車のことを一番知っているのは、使っている私だと気付いた。買ったからと言ってそれを大切にしているとは限らないし、そのことをよく知っているわけではない。毎日目にして、毎日触れて、そうして、不調に気づくことが出来るのだ。


 一緒に過ごしていてもいまだに何を考えているのか分からないことはある。過去に弟の不調に気づけなかったり、右耳から左耳へ流してしまったり。そういう時はいつも、気づけなかったことを悔やんだ。一緒に居たのに。それはもしかしたら、距離が中途半端だったのかもしれない。家族だから比較的距離は近くて、でも、思春期もあって距離を取ってしまって。素直になれなかったあの頃は、人のことに気づく余裕などなかった。

 むかし母は、弟が二重になったのを見ると、「熱があるね」と言って熱を測っていた。そうすると体温計は38度を告げる。家族として一緒に過ごしているのに私には分からなかった。
 きっと私は今、母の立ち位置にいるのだ。



 午後一番、私は愛車に乗っている。


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