【エッセイ】例えば、凍える夜空の下を歩いたり。
突然、生きていくのが辛いなんて思うことがあります。この世界は私が生きていくには難しくて、都合が悪くて、向いていないなんて。
失敗をしたとき、人を傷つけてしまったとき、悪意に触れたとき。
言いたいことも口に出せず、かと言って言葉にすればそれで誰かが傷つき。何も言えないまま私の心の底で黒く固まって、心を埋めてしまいます。それを排除しようとすれば、かさぶたを剥がす時と同じように血が滲んで、じくじくと痛みます。その繰り返し、黒いそれは私から出て行きません。
ずっと、抱えていればいいのでしょうか。そうしていつか、私が抱えきれなくなって壊れる時まで、隠していればいいのでしょうか。
もっと、綺麗な世界だと思っていました。
私の周りはもっと、優しい世界だと。
テレビに流れる事件は他人事で、
学校で教わった戦争は映画のようで、
歴史の教科書は終わった話で、
私の身近で起こるものだと、考えてきませんでした。
私もいつか経験しうるものだと、思っていませんでした。
ただ茫然と、その事実を上の空で認識して、そんなことがあったんだってと、知識として植え付けられました。いずれ私の身にも起こるかもしれない、ということは植え付けられず。
こう言えば、しっかりと植え付けをしなかった大人に言っているようですが、そうではないのです。しっかりと植え付けをしなかったのは、幼い私の方なのです。
いざその時が来れば、私は、生きづらいと感じるのでしょう。
なんて、なんて、悲しい世界なんだろうと。
私は、気づくのが遅すぎたのです。
100個の嬉しさよりも、1つの悲しみが勝ってしまう。
幸せは、小さいから。
小さな幸せの方が、私は嬉しいのです。
桜が咲いたこと、テストで100点を取ったこと、晩御飯が唐揚げだったこと、新しい友人ができたこと、温泉に入ったこと、誰かの笑顔を見られたこと、素敵な歌に出逢えたこと、ぜんぶ、ぜんぶ。
大きな幸せは、私には重すぎます。抱えきれなくて、いつか抱えきれないことが悩みに変わり、苦しみとなってしまいます。
だから、ぜんぶ、小さな幸せに。
でも、それではきっと幸せにはなれないのです。
私が存在するように、他の人も存在しているから。私を見ている誰かがいるから。彼らがいる限り、私は、今の理想を叶えることはできないのでしょう。
ただ、野に咲く花を眺め、問いかけ、笑っていたいだけなのに。
人はそんな私を見て、変わった人だというのです。
あの日上手に作れたシロツメクサのかんむりを、
静かに思い出しています。
誰にも渡せなかった、小さな花かんむり。
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