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【小説】霞まずの背々を見る

 一番に春の訪れを感じたシェーナには遅れて、この季節になると村では催し物が行われる。

 春になると緑が芽吹き、季節が進むごとに小麦や野菜などの食物が育っていく。大きな街から離れている場所にとって、その土地で採れる食物は生きていくために欠かせない食料となる。
 それは、シェーナとヨヴェが暮らすこの村にとっても同じで、広い大地で育てられる食物がなければ、食べ物に困る生活をすることになっていただろう。

 今年も大雨や災害などに悩まされることなく食物が育つよう豊穣の祈りを込めて、村では小さな祭りが行われるのだ。

 そうヨヴェに教えられたシェーナは、身支度を整えると、ヨヴェと共に外へと駆り出す。体の大きさに合わせて作った収穫かごを背負って、家の後ろにある畑へと向かう。汚れないように靴は履かず、小さな素足を地面にぺたぺたと落とす。
 収穫時期の迫った野菜が、畝に並んでいる。葉野菜は外側の葉を広げており、開花時期の近い桜のようだ。蕾が花を咲かせて空を彩るように、この葉野菜は地面を彩る。二人で食べるには多すぎる量だが、毎年この量で困ることは無かった。

「やあ」
 振り返ると、シェーナと同じく村の白い衣装に身を包んだ男性が歩いて来た。脇には立派な根野菜を抱えており、服から覗く腕や足は茶色く汚れていた。
「ヨヴェはいるかい?」
 シェーナは頷くと、家の方へと駆け出した。ちょうど玄関から出てきたヨヴェと目が合うと、訪れた男性の方を指差す。

「やあ、マキラか」
 そう返事をする。隠れるように足を掴むシェーナの頭に手を置きながら、マキラへと歩み寄る。
「今から収穫か?」
「そうだよ。それ、立派なものが採れたね」
「今年はどれも大きいよ。これから祭壇に持っていくんだ。これはヨヴェに」
「ありがたいよ。少し待ってて」
 ヨヴェは大きい包丁を持つと、畑に並んでいる葉野菜の一つを収穫した。片手で持ち上げて落としそうになった野菜をもう片方の手で支える。包丁を地面に突き刺すと、野菜についた僅かな汚れを落とす。

 いくつか収穫した後、一番最後の野菜を持ってヨヴェは戻ってきた。
「いつも助かってるよ」
「お互い様だろう」
 お互いの野菜を交換すると、マキラは背を向けて去っていった。衣装は背中が大きく開いており、そこから筋肉質な背中が見えた。シェーナの背中も、大きく開いている。
 ヨヴェの腕には大きな根野菜が三本。これでしばらく困ることはなさそうだ。

 一本をシェーナに預け、自宅へと持ち帰る。綺麗に泥を落として置いているだけで圧巻だ。
「今日はこれでスープでも作ろうか」
「スープも好きだし、ぐつぐつも好き」
「そうだね。じゃあ明日はぐつぐつにしよう」
 煮込みという言葉を知らないシェーナに合わせて、同じ言葉を繰り返す。畑に戻る最中も、ぐつぐつ、ぐつぐつ、と歌う様に口にしていた。

 畑に並んだ緑の葉野菜を、一つずつ収穫していく。ヨヴェが包丁を握り、シェーナが収穫かごを。根元に包丁を差し込んで収穫した葉野菜を、シェーナが背負うかごへと入れていく。シェーナの体に合わせて作られたかごには、三つが精いっぱいだ。

 ヨヴェの収穫かごに先ほど収穫した葉野菜を入れると、二人は広場へと向かう。かごいっぱいに入った野菜を背負うシェーナは、少しふらついている。
「シェーナ、重たいかい?」
 唇を強く結んだシェーナは少ししてから、首を縦に振った。かごの葉野菜を一つ、ヨヴェのかごへと移す。すると少しだけかごが軽くなった。
「ありがとう、ヨヴェ」
「どういたしまして。来年は三つ持てるといいね」
 伸びる道の先をじっと見つめながら、うん、と頷く。

 広場から伸びる長い石段の道を進んでいくと、人一人が生活できるほどの大きさの建物が現れる。中にはその年に採れた作物が保管されている。村人たちは、その年に一番に収穫した作物をこの中に納めるのだ。立派な作物が育った事を報告し、来年も同じものが実りますようにと祈りを込めて。
 祭りの前になると祭壇が設けられ、それを溢れるほどの作物で飾り立てる。いよいよ春が訪れたのだと感じられる、季節の祭事だ。

 木に覆われたその場所は、暖かい日差しが入ってこないため、空気はひんやりとしている。祭壇にはおそらくマキラのものであろう根野菜の他は何もない。まだ日も昇って間もない、これからどんどんと増えていくのだろう。
 背負っていたかごを地面に置き、一つずつ祭壇へ置いて行く。落とさないように丁寧に両手で掴み、傷つけないようにゆっくりと祭壇へ。シェーナの顔ほどの大きさのある葉野菜は、持ち上げようとすれば後ろに転んでしまいそうだ。ふらふらとする体を何とか安定させ、一つ目を供える。

「……シェーナ、背が大きくなったね」
 昨年の祭事の頃を思い出し、ヨヴェはそう口にした。
「ぼく、大きくなってる?」
「うん。だって、去年はここに届かなかったじゃない?」
 同じように祭事の準備を手伝ってくれたシェーナは、祭壇まで手を伸ばせばぎりぎりという背丈だった。祭壇に野菜を持ち上げられなかったシェーナのために、大きな石を見つけて引っ張ってきた記憶がある。
 しかし今は、台が無くとも野菜を祭壇に供えることができている。一年の間に確かに背が伸びているのだと実感したヨヴェは、シェーナの成長をこの目で見た気がした。

「ほんとうだ」はっと気づいたシェーナは葉野菜を持ち上げたままヨヴェを振り返る。「ぼく、届いてる。大きくなってる」
 嬉しそうに声を弾ませるシェーナの腕が震えてきたのを見て、ヨヴェは持ち上げられた葉野菜に手を添える。そうしてゆっくりと祭壇に野菜を置いた。野菜とヨヴェに挟まれたシェーナの手は小さい。この手もどんどんと、大きくなっていくのだろう。

 全ての葉野菜を祭壇に置いたら、手を合わせてその場を後にする。長居をしては祭壇の野菜を取ろうとしているのではと勘違いされてしまうかもしれないため、すぐに去るのが基本だ。

 神も仏も信仰しないこの村が唯一信仰しているのは、どこの街でも見かけることのない何者かだ。
 まだ人が当然のように人から人へ渡されていた頃。この村は大きな街から離れていたため、それを生業とする人はそれほど多くは訪れなかった。しかし全くいないと言い切れるわけではなく、時折彼らは村を訪れては眠る人々に自らの影を落とし、朝になれば村人が一人消えていた。
 消えてしまった村人の行方が分からず戸惑う村人たちは、その気を静めるために自然と手を重ねるようになった。それは信仰を意味する重ね手ではなく、村に無き者への想いを届けるための行為とされてきた。

 消えた者を消えたままにしてはならない。何度も繰り返し思い出し、忘れてしまわぬように。
 未知の場所でもどうか幸多からんことを。残された彼らに想いを届けるには、手を重ねるほか無かったのだ。
 それがいつしか祈りへと変わり、人を攫う狼が姿を消し始めた今でも、この村に残り続けている。

「──ねえ、ヨヴェ」
 ふいにシェーナが名を呼んだ。風に揺れた羽織が飛んで行かないように押さえながら顔を向けると、シェーナの視線は確かにそこに向けられていた。
「どうしてヨヴェはいつも、背中を隠しているの?」
 羽織を掴む手が、強くなる。
 住民の誰もが同じ衣装を身につけている。もちろんそれはヨヴェも同じなのだが、唯一異なるのは、常に羽織を身につけているところだ。

 人を攫う狼は、それが自分のものである証拠を付けたがった。それは大抵背中に、大きく赤黒く刻まれる。村の衣装の背中が広く開いているのは、自分が誰のものでもないということを多くに知らせるためだとされていた。それは人を攫う狼が数を減らした今でも残る、風習に似た文化だった。

 今はもうそのような意味を持って衣装を身につけているわけではない。ましてやそんな意味があるということすらシェーナはまだ知らない。しかし、誰もが背中を見せている中で、一人だけは羽織で隠している姿を見れば、不思議に思うのは無理もない。シェーナが言葉を覚え、食事を覚えていくのと同じで、それらに対しで疑問を抱くのは何ら可笑しいことではないのだ。

 ──子供というのは、いつそれについて問うてくるのかが分からないから、怖い。
 それも純粋な瞳を向けてくるものだから、ヨヴェの背中にあるまだらの歪さが際立つようで、酷く痛んでくる。
 息を吸う。喉が締まって、うまく吸い込めない。ようやく肺が満たされてから、ゆっくりと口を開いた。

「シェーナが大きくなったら、教えてあげるよ」

 強い言及の言葉に身構えていたが、シェーナは「分かった」と、一言納得の言葉を口にした。その後もシェーナの視線がヨヴェの背中に向けられることは無く、彼の意識は帰り道を繋ぐ石の道へと向けられた。

 家へと続く石の道を飛び跳ねながら進んでいると、シェーナ、と声を掛けられた。春が訪れたような声にはっと顔を上げると、そこには赤い髪のメルヴァが揺れていた。揺れていたのはふわりと広がる赤髪なのだが、風になびく髪が彼女の体を揺さぶってしまうほど大きなものだから、そう思えてしまったのだ。

「おはよう、シェーナ」
「おはよう、メルヴァ」
 赤髪に惹かれるように彼女に駆け寄る。その後ろ姿を、ヨヴェは少し目を丸くして見ていた。
「今日も暖かいわね。どこへ行っていたの?」
「やさい、運んでたんだ」
「そう、野菜はたくさん採れた?」
 メルヴァの言葉に何度も頷く。「たくさんあるよ。ぼくとヨヴェでは食べきれないくらい。メルヴァも、食べる?」
「ありがとう。まだお家にたくさん野菜があるから、無くなったらお願いしようかしら」

 途切れることなく話し続ける二人を見つめる。時折シェーナが浮かべる僅かな笑みは、ヨヴェと会話している時に向けるものと似ている。よく家に訪れるマキラでさえ未だに隠れてしまうのに、いつの間にか知り合った少女と仲睦まじそうに話す姿は、村の子供たちと何ら変わりない。
 春の日差しを受けてシェーナを見つめる黒い瞳は、色にそぐわず柔らかかった。

 話が一区切りつくと、メルヴァはヨヴェに視線を送った。向けられた艶やかな笑みに、もうここにはいない美しい女性が思い出される。
「おはようございます、ヨヴェ兄さん」
「おはよう、メルヴァ。二人とも、いつの間に仲良くなったの?」
「一緒に春を見つけた時に、ねえ?」
 シェーナは返事の代わりに頷いた。メルヴァの言葉におそらく春が来た時の頃だろうと推測する。シェーナが言ったふわふわの暖かいものの正体に納得し、素直な子供の目から見てもその美しさは変わらないのだと分かった。

 まだシェーナと年の変わらないメルヴァは、やけに大人びた口調と落ち着いた声色から、果たして本当に子供なのかと冗談めいて疑われることが多い。母であるメルリアの影響を受けているのは間違いないが、メルリアが亡くなってからは、まるで生き写しのように思えてならなかった。
 メルヴァの中にメルリアが入り込んでしまったかのようだ。

「メルヴァは今日、お祭りに行くんだよね」
「ええ、行くわ。一年に一度だもの、みんなでご飯を食べて舞いをして賑わうのは」
 まるでこれまでから何度も何度も祭りを見てきたかのようだ。彼女の年齢では、昨年のこともあやふやになっていくのに。
 そんな大人らしい彼女の言葉も、何度か接していれば慣れていくのだから不思議だ。ヨヴェはわずかな違和感を未だに抱きつつ、視線をメルヴァに合わせた。

「もし良かったら、シェーナと一緒にいてくれないかな」
「いいの? ヨヴェ兄さんは一緒にいないの?」
「僕は祭りの準備をしないといけないから、ずっと一緒にいられない。だから、メルヴァが一緒にいてくれるとすごく助かるんだ」
「ヨヴェ兄さんがそう言うなら、任せて。シェーナともっと仲良くなりたいと思っていたところなの。……あ」
 そう呟くとメルヴァはシェーナを振り返り見た。
「シェーナ、私と一緒にいてくれるかしら。ヨヴェ兄さんは少し忙しいみたいなの」
 ぼうっと見ていたように感じられたが話はしっかりと聞いていたようで、
「分かった、一緒にいる」
と、はっきりとした言葉でそう言った。
 メルヴァはまるで子供のような笑みを浮かべると、シェーナの手を取った。
「良かった! じゃあさっそく、行きましょう。私、お祭りが楽しみで仕方がなかったの!」
 無邪気に走り出したメルヴァに引っ張られたシェーナは、転ばないように懸命に足を動かす。覚束ない足で駈ける二人はまるで妖精のように村を駆け回った。

 そんな二人を見送ったヨヴェは、小さくなっていく背中に、シェーナを見つけた時のことを思い出していた。暗い路地でうずくまる小さな彼を見た時、一体何を考えていたのか思い出せない。ただ少しだけ、それは今も思い出すたびに、背中がじくりと痛むのだ。

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