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木星の輝くころ

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2024年月1連載小説。血の繋がらない少年と青年の暮らしから始まる、かけがえのないものを知っていく人たちの話。
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記事一覧

【小説】夕焼け、のち、嵐。

 月明かりだけが頼りの夜道を、歩いていた。  周囲に目印となるものは何もない。家も、畑も、整えられた道も。ただ真っ直ぐ、その先に見える小さな光を目指して歩いていた。  そこに何があるのかは分からない。しかしシェーナは、向かわなければならなかった。誰かにそう言われたわけではなく、自分から光を目指したはずなのに、そのほかの全てが分からないなんて。きっとだからこそ、光に向かうしかなかったのだろう。  光の向こうにシェーナの求めるものがあると信じて、歩いて行くしかなかったのだ。

【小説】隣にいる人

 大切な人が突然消えてしまった時、一番にどんな気持ちになると思う?  メルヴァは隣に座っているのに、その声は風に乗って遠くから運ばれてきたように聞こえた。目の前に広がる草原を見やる。メルヴァと出会ったあの日と変わらず、波のように揺れる草花。あの頃と変わってしまったのは、草原を彩る花の色が減ってしまったことだ。  草原の奥に峰を連ねる山々。まるであの山の先に誰かがいるかのように、メルヴァはじっと見つめていた。打ち付ける風が瞼を乾かしてもお構いなしだった。  シェーナは長考

【小説】雪に落つ星二つ

「願い木を見に行こう」  新雪の積もった山は美しい。寒さで動物さえも眠る季節の空はぐんと高く、透き通って見える。長く降り続いた雪で地面は一切見えないが、先を歩くヨヴェの足跡を辿ることでシェーナも山を進むことができた。  雪の中を歩き続けて、服は濡れて重たくなっていた。引きずるように歩いていたけれど、次第に体力が奪われていく。見上げれば見えていたはずの青い空は、雪にも負けず生い茂る緑に遮られて見えない。 「シェーナ、ついて来てる?」  歩き続けていたヨヴェは、少し離れて

【小説】夜雪と見紛う悪夢

 山の麓から少し離れた場所に広がる小さな村は、夜が深くなる前に明かりを落とす。かつて名のある権力者が辺りを支配していた頃、既に人のいなくなった村だと思わせるためにしていた対策が今も残っているのだ。日が落ちるのと共に床についていた頃よりも村の夜は明るいが、日が落ちて数時間もすれば村は闇に溶ける。  雪の積もった夜は一段と冷える。村を白く染める雪は山ほどは積もらないが、代わりに村に静けさを落とす。屋根に積もった雪が一向に溶けず、火を焚いても室内はあまり温まらない。湯を張った風呂

【小説】風薫る季節の新花

 草木の揺れる音が、寒さを凌ぐ窓の向こうから聞こえてきた。  ささやかな自然の音で目を覚ましたシェーナは、ベッドに手を付いてゆっくりと体を起こす。少し高い位置にある窓をみやると、朝とは思えないほど淡く明るい青の空が、窓枠一面に広がっていた。  白いカーテンのような光が差し込み、シェーナの手元を照らす。じんわりと温かくなる手の甲を不思議そうに見つめた後、再び顔を上げた。横顔を撫でる日に目が眩む。  絵具を溢したような青をぼんやりと見上げ、そこに雲がかかるのをじっと待った。

【小説】霞まずの背々を見る

 一番に春の訪れを感じたシェーナには遅れて、この季節になると村では催し物が行われる。  春になると緑が芽吹き、季節が進むごとに小麦や野菜などの食物が育っていく。大きな街から離れている場所にとって、その土地で採れる食物は生きていくために欠かせない食料となる。  それは、シェーナとヨヴェが暮らすこの村にとっても同じで、広い大地で育てられる食物がなければ、食べ物に困る生活をすることになっていただろう。  今年も大雨や災害などに悩まされることなく食物が育つよう豊穣の祈りを込めて、

【小説】赤い果実は風に揺れる

 柔らかく白い雲の流れる下、風に揺れる赤毛を手で抑えながら訪れた家の窓を覗き込むと、一人の少年の背中を見つけた。  普段なら向かいの椅子にもう一人、ヨヴェが一緒にいることがほとんどだが、今日はその姿はない。  本を読むでも絵を描くでもなく、机の上に乗せた指を絡ませて遊ぶシェーナ。まだ床に届かない足は、ふらふらと揺れている。時折窓の外を見つめては足を大きく動かすと、机や椅子の足にぶつけてこつりと音を立てた。  部屋には、綺麗に片づけられたキッチンと、小さな棚が一つ。棚の上に

【小説】打つ透明

 冬の寒さが、シェーナがかつて暮らしていた路地裏の刺すような空気を思い出させるように、湿気を含んだじわりと汗ばむ夜が訪れると、ヨヴェの脳裏に赤い夜が蘇る。  今でも肌に残る焼けるような熱気は、ヨヴェの肌の感覚だけを蝕んでいく。いくら肌を覆っても擦っても消えてなくならないそれに慣れてしまうことだけはあってはならないと思いながら、慣れなければ傷が抉り取られてしまうため、心を落ち着かせるほかなかった。慣れるということはすなわち、それだけ日にち薬が効いて来てしまっているということだ

【小説】ダークジェムの眩み

 雨が連れてきた寝苦しい夜は、夏によって連れ去られた。  空いた席を埋めるように熱気を帯びた夜風が窓から入り込む。それも寝苦しさを感じさせるものではあるが、湿気の強い夜とは心地がうんと異なる。悪夢を見せることのない夜風の方が、見せられる者もそれに寄り添う者も安心して夢を見ることができるのだ。  そんな夜を越えてやってくる夏の朝は早い。朝日の上昇と共にゆっくりと意識を開花させていくシェーナは、日の出から少し時間が経ってから起き上がる。寝た時とほとんど変わらないシーツを綺麗に

【小説】夏風叩く窓際で

 春のように優しい色をした空が広がっている。室内から空を見上げた時にそう感じた外の空気も、日差しを浴びればすぐに熱へと変わっていく。シェーナは日差しを避けるように額に手を伸ばした。  外に出てきたシェーナは、裏にある畑を覗き込む。先に外へ出て行ったヨヴェの背中が見える。昨日の雨を吸い込んで大きくなった野菜を収穫しているのだ。今実っている野菜を収穫すれば、そろそろおしまいだと言っていたことを思い出す。しばらくは二人で食べていけるほどの野菜が実る畑に屈むヨヴェの頭には、日差し避