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良い日本語教師についてー素人と専門家の見分け方

                          2021年3月8日

1 はじめに
 私は、ある自治体が設置した日本語教室で講師をしている。ここに勤務して、外国出身の児童生徒が「まともな日本語指導」を受けていない例が非常に多いと気がついた。最も多い例は次の二つである。第一は、ボランティアの先生に教えられる例、二番目は、児童生徒の母語を話す指導員(いわゆる「ネイティブ」と呼ばれる人達)に教えられる例である。
 両者とも志や善意の点では非難すべきではないが、「日本語を指導する力量」の点では、問題を抱える例が多い。最も問題なのは、この人達に指導を依頼する学校が、日本語教師の力量を評価する視点を知らないことである。そこで本稿では、児童生徒を指導する日本語教師の力量を評価する視点、少なくとも「素人」か「専門家」か、を見分けるための視点を論じることとする。

2 発音指導ができるか。
 素人かどうかを見極めるには、この質問をすれば良い。それは「日本語の『音素』は何ですか」ときくことである。「音素」とは、分かりやい説明では、「発音の違いが意味の違いを生じさせるもの」と言われている。英語では「R」「L」の発音の区別があり、それは音素だが、日本語では音素ではないと言われている。では日本語の音素は何かと言うと、「拍」と「アクセント」だと言われている。「拍」は、1拍、2拍の拍であり、「それをしって(知って)います」と「それをしています」とでは意味が異なる。また、アクセントは単語の中の上昇、下降等の音調である。「箸」と「橋」ではアクセントが異なる。
 その他にも、専門家ならば、それぞれの音を発音するための調音点、調音法等を知っていて、非日本語母語話者の発音を聞いて、矯正すべき点を指摘できるはずである。発音をどのように指導しているかを見れば、素人かどうかすぐに分かる。「発音など聞いていれば自然に身につく」と考えるのは素人であって、日本に何十年住んでいても、自然な発音が身についていない外国出身者はいくらでもいる。一度身についた発音はなかなか矯正できないので、特に児童生徒を教える日本語教師は発音指導ができなければならない。

3 動詞の接続、特に「て形」を指導できるか。
 動詞の形の変化を国語教育では「活用」と言うが、日本語教育では「接続」と言っている。文字通り次に来るものにより形が変わることである。「書く→書きます→書いて→書いた」などと変化することである。この中でも「て形」(連用形のひとつ)は、「・・・してください」「・・・しています/あります」「・・・してしまった」など用途が広い。また、動詞の1グループ(五段活用)、2グループ(上一段/下一段活用)、3グループ(変格活用)で異なる変化をするので、理解し難いと言われる。動詞の「て形」の習得は、初級の学習の山場であり、日本語教師の採用試験の模擬授業でよく取り上げられる指導内容だと言われている。
 従って、この動詞の接続をどのように教えるかを見れば素人かどうかが分かる。特に発音と関連して、「かいて(書いて)」「かって(買って)」「かして「貸して」などは、非母語話者には聞き分けることが難しいと言われる。この点を意識して、どのように指導しているかを見ることである。教え方の巧拙は別にして、「て形」」は重要な指導内容だと認識していなければ、それは素人である。

4 例文をその場で作れるか。
 素人の指導でよく見られるのは、母語等を媒介にして教えることである。しかし、年少者は母語も十分に発達していないこともあるので、できるだけ日本語による直接教授法を採るべきだと思う。そこで、単語の意味を教える場合に、その意味を推測できる例文をその場で作れるかが素人と専門家との違いである。
 例えば、私がよく質問された語は「ユーモア」である。英語の「humor」とか「諧謔」などと説明しても理解されない。その場合には、次のような例文を作って説明する。「○○先生の授業は面白いです。楽しいです。みんなが笑います。○○先生はユーモアがあります」などである。
 専門家はその学習者の日本語レベルに応じて、例文の語彙や文型を調節することができるはずである。しかしそこまで行かなくても、直接教授法で教えるために、その場で例文を作ろうという姿勢があるかどうかを見ただけでも、素人かどうか分かる。

5 終わりに
 私もボランティアの人やネイティブの人が指導する場面を見たことがあるが、中には学習が進まないのを児童生徒のせいにして、ひどい言葉を投げかける人もいた。指導・支援どころか人権侵害の場面になっているのではないかと感じて、校長にその旨を話したこともある。
 しかし、学校の立場では、指導してくれるだけでありがたいので「良い先生かどうか」など考えないし、評価する視点も知らないというのが現状のようである。一方、私も定年退職前まで高等学校の教員だったが、教員ならば日本語教育の素養がなくても、上述の視点を踏まえれば、素人か専門家かを見分けることはできるはずである。素人の日本語教師には、学校が教育の専門家として助言等を与えるなどの連携を図り、児童生徒がより良い指導を受けられるように努力していただければ幸いである。

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上の文章を投稿した後に、自分のウエブサイトを作りました。それに、「研究・実践報告」というページを作って、他の日本語教育関係の文章も掲載していますので、よろしければそちらもご覧ください。下にリンクを貼っておきます。(2021年9月21日)

https://www.nihongoyt1106.com/

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