「意見は役人が言うものです」ー外国出身の子どもが学力を身につけるには。


1 はじめに
多くの人は、外国出身の児童生徒も日常生活に必要な日本語力を身につけると、あとは自然に学力も身についていくと考えているようだ。しかし、彼らを指導する人達は次第に「日本語は話せるのに、学校の勉強ができない」ことに気がついていく。
 現に、このnoteのサイトでも、板さんが2021年1月20日付けで「日本語指導が必要な外国人児童生徒 日常会話はできるのに、授業についていけない児童生徒をどうすればよいのか」と述べている。板さんは「ヒューマンアカデミーのMO先生がDLAを紹介した」と述べている。しかし、私はDLAについて詳しく知らないが、この問題は日本語の教授法の視点だけから考えても解決策は見つからないと考えている。
 日本語教育の視点だけでなく、学校教育の違いを考えなければならない。なぜなら、出身国で途中まで学校教育を受けて、その後来日した児童生徒にとって、出身国と日本の教育との間には、次のような違いがあるからである。
2 教育課程、教育内容の違い
 まず考察すべきは、教育課程、教育内容の違いである。例えば、日本では小学校3年から理科を学習し、その前の生活科でも理科的な内容を学習する。これに対して、小学校では理科を全く学習しない国もある。このような国の出身者が、中学生になってから来日し、日本の中学校で理科の授業を受けても理解できないのは当然である。私は理科の教員免許状は持っていないが、教科書を見ると、例えば小学校で「金属を変化させる水溶液」について実験等で学習して、それが中学校の「化学反応式」の学習へとつながっていくのが分かる。日本の教育では、学習内容が目に見える具体的なものから、「紙の上」の、抽象的なものへと進んでいくプロセスになっている。これがいきなり「化学反応式」を教えられても理解できないのは当然である。
3 「学力観」の違い
 次に考察すべきは、「学力観」の違いである。何をもって「学力」と言うのか、どんなことができれば「学力」が高いと言うのかは、国によって異なる。文科省は「確かな学力」について、「知識や技能はもちろんのこと、これに加えて、学ぶ意欲や、自分で課題を見付け、自ら学び、主体的に判断し(後略)」と説明している。また、2021年3月31日の朝日新聞の教科書検定についての記事の見出しは、「高校教科書『探究』重視」となっている。
 これに対して、教師が提示した知識をできるだけ速く、できるだけたくさん覚えられることを「学力」と考えている国もある。実際に2020年1月23日の朝日新聞の記事「日本の音頭で脱・丸暗記」では、日本の教育から学んで「暗記式の教育」を脱しつつあるアジアの国を紹介している。
 このような暗記する力を学力と考えている国から来た子どもが日本の「学力観」を理解して、授業に適応するには本人の努力だけでなく、適切で良質な指導が必要である。例えば「作文で自分の意見を自由に書きなさい」と言われても、「自由に意見を言う」学習経験がなければ、なかなか作文が書けない。自由に意見を言ったら、自分の身の安全が脅かされる国もあるのだから。「日本は民主主義の国で、自由に意見を言える。周囲の人にもそれが受け入れられる。」と子どもが実感しなければ、日本語ができても作文は書けない、あるいは「意見文」は書こうとしない。
 このことについて、私は次のような経験をした。国税庁は毎年「税についての作文」を中学生から募集し、優秀な作品を表彰している。私が勤めていた地域の中学校では、それを夏休みの課題にして、全生徒に書かせていた。外国出身の生徒は、当然すぐには書けないので、生徒が教えて欲しいと申し出た。私は、日本の税制度についてひととおり説明した後で、「それでは、あなたの意見は?」とたずねた。その生徒の答は、「そんな! 意見は役人が言うものです」だった。税制度など国家体制に関ることについて自分などは意見を言うべきではないと考えていたのだ。
3 指導者に必要なこと
 このように、外国出身の小学生、中学生に日本の学校で求められる「学力」を身につけさせるためには、指導者に次のような二つの力が必要である。
 第一は、日本語教育の技術・素養だけでなく、日本の学校の「学力観」や「教育課程」「教育内容」を理解していることである。
 第二は、個々の児童生徒に対して「どんな領域をどのように指導すれば良いのか」を「洞察」できることである。これは単に指導技術や知識だけの問題ではなく、児童生徒が心を開いて、ありのままの姿を見せるような信頼関係を築くことが不可欠である。
                           

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