「何をいうかより誰がいうか」に「誰」でもないぼくができること
※ ヘッダー画像のハシビロコウには特に意味はありません
ぼくは、東京03の「同意見」というネタが好きです(唐突)
03のネタは月ごとに入れ替わるので見れなくなってしまってるかもしれませんが…(ぼくは入れ替わりにも負けないように単独公演のDVDを買いました。
説明するより見てもらった方がいいと思うので貼っておきます。見てください。
でもたまに、このネタが笑えないくらい自分に刺さることがあって、色々考えてしまったので、筆をとったらnoteが一本書き上がりました。
まぁ言葉で要約してしまうと面白みがなくなってしまうので、とにかくこのネタを見て欲しい(2回目)んですが、(超絶要約すると)
説明すると全然おもしろさが伝わらなくなってしまったので、とにかく見てください(n回目)
これがコントか…というとあれなんですが、本当にこの人たちはよく人を見てるなぁと思うわけですよ。そして、最初は「あるあるやな」って思って笑ってたんですが、最近どうも笑えなくなる瞬間があって。
何をいうか、より誰がいうか
っていうのは、よく言われることで、それはもっともだと思います。
これは、悪意があるとか、誰でもないやつの話は聞きたくない・信用できない、というわけではなくて、本当に、深層心理の奥深いところで、「この人が言うなら」というのが働いてしまうんだろうなって思っています。
実際、ぼく自身も、「◯◯さんが言うなら、きっとそうなんだろう」と思うこともあったりなかったりするわけで。
だから「たにぐちが言うならしょうがないなー」って言われる人間にはなりたいなって密かに思ってはいるんですけど、それはまぁ今回は置いておくことにして。
それで、「それぼくも前々から言ってたことなのに!(もっと力のある人が言い始めたらすんなりじゃん…)」みたいなことって意外とあるなぁと思っていて。
それはぼく自身の力不足でしかないので、それはしょうがないことだとはわかっているんですけど、やっぱり、素直に「悔しい」んですよね。
そんなとき、いつも脳内で角田さんが「「「「「実績と能力だよォォォォ!!!」」」」」と叫んでくれます。
そう、実績と能力が足りてないんですよ。
いくら、綺麗にまとめて、データとかを持っていったとしても、その人についてる「実績と能力」という信頼は、客観的事実とか、それらしく並べ立てるロジックより、ときに強いんだろうな、って思うなど。
特に考えてない思いつきがたまたま一緒だった、とかならね。まぁそうなんですけど。
(といっても、自分の感覚そんなに間違ってないんだな、っていう自信にはなるよなぁ、、なんてね)
だから、そんな「実績も能力」もまだ何もない、「誰でもない」ぼくがやるべきこと、できることってなんなんだろうな、って思うわけですよ。
これに関してはぼくもまだ回答は出きってないんですが、
結局のところ、その「実績と能力」をつけるしかないのかなと思っていて、そのためにできること、と言うと今思いついているのは2つです。
とりあえず、客観的事実とかロジックをまとめて自分の意見の確からしさをサポートするものとともに主張して、ぶつけ続けること、
そして、いつか現れる「誰か」が言ったときに「そういえばあいつもそんなこと言ってたな」と思わせること
かな。と。
とにかく「実績も能力」もないぼくがやれるのは確からしさを主張することしかできなくて、
だったら、自分の思考をもとにしたものが「それらしい」っていうのを積み上げるしかないよなーと(至極当然な帰着)
あとは、結局「誰が言うか」の「誰」は他人が判断するものだから、「ぼくのいうこと」にたいして「おっ?」って思われる機会を作っておかないといつまでも「誰」にならないのかなーなんて。
まぁその「実績」みたいなのは積んでいきたいけど、なかなか難しいよねっていう。んで、ぼくの行動力っていうかはなぜか仕事のことになると著しく低いので頑張るしかないわね。
といっても、だいたいぼくは思考が浅いので「なんかそんな感じがする」しか言えてないし、頭の中にぐるぐるしてるだけで全然アウトプットできてないのでだめなんですけど。
もうちょっといろいろ情報まとめてアウトプットしていこうかなって。
他人のためっていうよりはこれは、自分のため。ぼくはあんまり頭がよろしくないので、すぐに忘れちゃうし、あとで立ち返るためにまとめておかないとなぁーなんて思ったり思わなかったり。
まぁこれからの課題ってことで。こう、まとめてみたところで自分がじゃぁすぐできるんか、って言うとわからんけど。これは自戒を込めて。
自分の思考の整理っていうよりは、どちらかといえば、おすすめのコントの布教のためにnoteを書きました。なので見てください(n度目)
ではでは
たにぐち