海のはじまり 第10話感想
前回の感想では、ハッピーエンドを求めてしまった。夏と弥生と海が3人家族となって幸せになるラストを、である。往生際が悪いと思いつつも、今回はそのようなラストを予感させる描写はないのだろうか、と期待しながら視聴してしまった。
視聴し終わっての感想。微妙。弥生との復縁、ワンチャンあるのでは、とも思ったけれど、私がイメージしているのとは違う形の3人の姿が描かれるのかもしれない、とも思い始めた。夏と弥生が結婚をして海の親になる、(今誤変換があって気づいた。「海」=「生み」なんですね!)という形ではなく、よきパートナーとなって(友達?)一緒にいる、というハッピーエンドもありなのかな、と思ったのだ。
それにしても、今回もなかなか重たい話ではあった。生方さんはその経歴からもいろいろな形の親子を見ているのだと思う。子どもが幸せになるためには親も幸せでなければならない。親の幸せがあって初めて子どもの幸せもある。そのようなメッセージが第10話には込められていたように感じる。それは、当たり前のことのようにも思えるが、もちろんとても難しいことだ。親子関係から離れて考えてみても、誰かが幸せになるためには、他の誰かが我慢しなければならない場合が結構ある。
「誰も傷つけない選択はないし、でも、自分が犠牲になればいいってことでもないよ」という、手紙のなかの水季の言葉に背中を押されて夏と別れた弥生は、自分が幸せになるために、「2人(夏と海)のことを傷つけたと思うけど後悔していない」と言う。夏も海と2人で暮らすことを選択し、南雲夫妻に、そして海に説明し納得してもらう。それでも、転校すること、南雲家から出ることを受け入れ我慢するのは海だ。海と2人で生活していくためには、夏自身が精神的にも経済的にも負担が少ない環境に身を置くことが必要になる。将来的な海の幸せを考えれば当然と言えば当然の選択。でも、海は今我慢しなければならない。南雲夫妻も我慢しなければならない。そして多分津野も。弥生も自分が2人を傷つけたとは言ってはいるが、自分だって傷ついている。大切な人や周りで支えてくれている人々を傷つけて、夏は新しい生活を始めることを選んだ。覚悟をして夏は選択したつもりだと思うが、今後、身をもってその重みを実感していくことになるのだろう。
確かに夏には母親の再婚時に名字が変わることや、転校することを受け入れた過去がある。しかし、「転校したくないの何でか分かってる?」という朱音の問いに、夏は最初答えられなかった。「海、あなたと一緒に暮らしたいけど、同じくらいここにもいたいの。何でか分かる?」という問いにも正解できない。実は直前の海との話し合いの場で、海は答えを言っていたのに。「ママのいたところに連れて行ってね」という海の言葉を、その後の、友達に「手紙を書くの手伝ってね」という方の言葉で転校に同意してくれたとほっとしてしまい、聞き流している。実は大切な海の気持ちだったのに、海の担任の夏美先生と話して初めて気づいたのだ。夏にはまだまだ頼りないところ、言葉が足りないところ、気づきが遅れるところがある。
そう考えてみると、やはり、「人」を本当に丁寧に描いている作品だと思わされる。等身大の善意の人を丁寧に描き、恋人関係、友人関係、家族の関係、親子の関係といった、人が生きていく上で避けて通ることのできない関係のあり方をそっと問いかけるような作品を、生方さんや制作スタッフのチームは創ってきたのだと思う。
残り2回。次回の予告はきつかった。最後の津野のセリフはきつい。弥生にも責められていた。しかし、それが自分がした選択の重みを、夏が身をもって知っていくということにつながっていくのだろう。夏と海が本当の家族になるためには避けて通れない道、ということなのだろう。次回も重い展開になりそうだが、今回の弥生のセリフを信じて、懲りずにハッピーエンドを待ちたいと思う。
「だれも悪くないんだから、ちゃんと大丈夫なとこへ流れ着くよ」
流れ着く大丈夫なとこ。そここそは「海のはじまり」なのだろう。
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