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続けてきて、変わったこと。

52本目となる今年最後のnote(1本は別のアカウント)。

「毎週一本、確実に書く。」「どんな拙い内容でも書く。」
自分で決めたことを実現できたことに充実感はある。

そもそもは、1年前の2020年。ある人に言われたこと。
「誰も見てなくてもいい。でも誰もが見れるところで発信し続けることで、自分のやっていることに責任を持てる」

ネタが思いつかない週は、空っぽの自分を呪ったこともあったが、一年間愚直に毎週一本のnoteを書き続けて、よかった。


小学生のとき。元々、3日坊主だった。熱しやすく冷めやすい。少年野球をうまくなるために何度も朝走ると決めて、何度も挫折をした苦い経験。

それが15年前の2008年ごろ。なぜか続けられた英語学習。完全ドメスティックだった自分が思い立ったあの日から毎朝少しだけだがなぜだか10年以上続けられた。

英語勉強を始めて5年たった2013年。後輩から英語のシャドーイングをしながらジョギングしたらいいんじゃないかと勧められた。これまたなぜか続いてすでに9年以上ほぼ毎日走っている。とは言っても、本当にジョギングとも言えないほどのゆったりしたスピードで、汗をかいて疲れた後は結構歩いている。というもはや何が目的かもわからないが、歯磨きのように、走らないと気持ちが悪くなる現状だ。


5年前の2016年7月。これまた、ある人が教えてくれた。3ヶ月100キロ走り続けると景色が変わって見えるよ、と。3ヶ月続けたが景色は変わっては見えなかった。疲れたら歩いてしまう自分ではもう少し時間がかかるかもと思って、結局65ヶ月連続で、マイナス9度の凍てつく朝も、灼熱の体感40度の夏も、月間100キロ走り続けてきた。しかし、いまだに景色は変わって見えてはいない。

52週間、noteを書き続けてきて感じたこと。
周りの景色が変わった、ということはない。ただ、自分の考えていることはより解像度が上がったように思う。自分の中にある景色は鮮明に見えてきた。自分と周囲の関係の中での変化はまだまだ見えないが、自分自身の本当にやりたいことを自覚的に見つめながら、自分に責任を持って少しづつ走れるようになったように感じている。

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