「8月の狂詩曲」を見て

 ワクチン接種2回目の翌日は、熱で仕事もできないので、ごろごろしながらビデオ鑑賞。久々に黒澤映画でも見ようかと、netflixで無料だった黒澤映画2つのうちの一つがこれだった。この映画は1991年の映画だ。タイトルは覚えているが見た記憶はない。(以下、ネタバレがあります)

 長崎の被爆体験をめぐるある家族の物語で、長崎の祖母と孫四人が夏休みを一緒に過ごす場面から始まる。夏の田舎の風景が何とも印象的だ。古民家の内側から縁側に向かってカメラを向け、庭の緑と土を背景に縁側に座る祖母と孫たち。逆光でやや暗いのが、田舎の庭の景色を際立たせる。

 孫たちが祖母の家にいるのは訳がある。長らく音信不通だった祖母の兄の一人、錫二郎は、ハワイ移民としてパイナップル農園のオーナーとなり成功していた。病気となり死期が近づいたのを感じ、近親者である祖母を探し出し、連絡してきた。祖母が高齢なので、その息子と娘、つまり孫たち二人の父、もう二人の母が代理としてハワイの伯父を訪ねた。その間、孫たちは祖母の家に預かってもらったらしい。

 祖母の息子たちからハワイへ来るよう手紙をもらい、孫たちは単純にハワイへ行けるので喜ぶが、祖母は気が進まない。なぜ祖母が躊躇するのか。孫たちは原爆体験ゆかりの地をめぐることで、徐々に祖母の気持ちを理解する。彼らの祖父は原爆のとき爆心地近くにおり、亡くなっていたのだ。祖母の頭にも原爆のときにうけた傷痕が残る。

 人間関係の機微を丁寧に描きながら、孫たちと祖母の心情を描いていく。その間の孫たちの父母四人がその後登場するが、大人の事情のいやらしさをやや誇張気味に描くところもコミカルでよい。アメリカ人に忖度する大人は日本政府のアメリカに対する態度への皮肉のようにも感じた。丁寧に描きながらもテンポよく進むところが黒澤ならではである。

 リチャード・ギアが、錫二郎の息子役つまり日系二世として登場する。日本語もまあまあ話せる設定で、八割方日本語のセリフだった。ある意味アメリカを象徴しつつも、個人として祖母や孫と共感していく姿が描かれる。孫たちと滝壺で遊ぶシーンは美しい。

 私は黒澤映画は単に好きで見るだけでどんな評価を受けているのか知らないが、この映画はメッセージ性が強いと感じた。戦争責任を追及するわけではないが、戦争はよくない、その傷痕はまだ残っている、しかしそれを知る世代は消えようとしている。直接的なメッセージではないが、原爆体験とどう向き合うべきなのか、自然に考えさせられる映画だ。こういう距離感は文学的である。

 ラストシーンは、黒澤映画ならではの大雨のシーンである。祖母は認知症が進んだ様子で、雷をピカドンにみなし長崎市内に向かって雨の中走る。それを孫たち、息子たちが追いかける。何度も間奏で出てきたシューベルトの「野ばら」が流れてラプソディーが終わる。

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