複雑系への適応として見る「なめ敵」とPlurality

「なめらかな社会とその敵」(以下、「なめ敵」)とPluralityとの関係について自分なりに考察した内容を以下に簡単にまとめます。この記事で、「なめ敵」は鈴木健氏が著書「なめらかな社会とその敵」[1]の中で展開している思想を指します。Pluralityは、Audrey TangとGlen Weylらが立ち上げたRadicalxChangeが啓蒙している思想を指します。Pluralityの思想の詳細については、Audrey TangとGlen Weylの共著(以下、Pluralitybook)を参照ください。以下の内容は個人的な解釈を述べたものです。

「なめ敵」とPluralityの共通性

「なめ敵」とPluralityは、複雑系をなす外部環境への適応という面では同じ目的を共有しているのではないかと見ています。鈴木健氏のご専門は複雑系科学であり、「なめ敵」の中核をなす膜の概念は生物学起源です。一方、Audrey TangはDigital Resilienceという言葉を頻繁に使っており、Resilienceも複雑系への適応と深い関係のある概念です 。複雑系をなす外部環境に対する人や社会の適応度を上げる(レジリエンスを向上させる)という面で共通性があると見ています。

「なめ敵」が目指す世界

Herbert A. Simon(1975年にチューリング賞、1978年にノーベル経済学賞受賞)は著書「システムの科学」[2]において、生物を含むあらゆるシステムに共通する特徴として、モジュール性と階層性を挙げています。なめらかな社会の中核をなす概念である膜は、(多細胞)生物における基本的なモジュール(細胞)の境界をなす要素です。

ここで、モジュール性から見た統治構造について考えてみます。モジュールすなわち部分組織の大きさとその繋がり(相互接続)の態様によって統治構造はスペクトラムをなすと言えます。スペクトラムの端の一つは部分組織が最大の場合で、中央集権的な統治構造です。例えば、中央集権的な国家は、一つの国全体が一つの部分組織をなし、その部分組織の意思決定は国全体の意思決定でもあります。スペクトラムの端のもう一つは部分組織が最小の場合で、アナーキーな社会です。アナーキーな社会は、一つの主体が一つの部分組織をなし、各主体が自己の関心に応じて意思決定を行う社会であり、社会全体の統一された意思決定というのは存在しません。統治構造は、部分組織の大きさや繋がりの態様に応じてこのスペクトラムのどこかに位置すると言えます。

システムが安定して存続し続けるためには、外部環境の変化に適応できなければなりません。問題は、適応すべき外部環境が変化すると、統治構造のスペクトラムにおいて、適応度(レジリエンス)を向上させ易い領域が変化してしまい、統治構造そのものを変えなければ適応度が向上しにくくなる可能性があるということです。つまり、ある外部環境において適応度を向上させ易かった統治構造が、別の外部環境では適応度を向上させにくくなるということが起き得るということです。

例えば、複雑系科学の研究者であるStuart Kauffmanは、NKモデル(スピングラスという物理学などで用いられるモデルの遺伝子版のようなモデル)に含まれるN個の遺伝子を分割して得られる部分組織の大きさと、適応地形のでこぼこ具合とを変化させて、適応度の向上の仕方に違いがあるか数値実験で調べています[3]。実験結果の概略を述べれば、でこぼこが少ない適応地形の場合には、部分組織が大きい(中央集権的な国家)ほど適応度を向上させ易いのに対して、でこぼこが多い適応地形の場合には、部分組織が小さい方が適応度を向上させやすいという結果を得ています。詳しくは、こちらの記事を参照ください。

そうした実験結果なども踏まえると、なめらかな社会というのは、膜の機能を弱めることで部分組織の大きさや繋がりを動的に変化させ易くすることによって、外部環境の変化に応じて、適応度が向上し易い統治構造へと自律的に変化できるようにした社会と言えそうです。

Pluralityが目指す世界

Kauffmanは、そうした外部環境への適応度が高くなる領域というのは、いわゆるカオスの淵のような領域で、生物はそうした領域で進化してきたと論じています[3]。カオスの淵というのは、部分組織のせめぎ合いによって自己組織化臨界的に安定状態を保っているような領域です。

「なめ敵」との関係からPluralityが目指す世界を考える上で、Glen Weylらの「Decentralized Society: Finding Web3's Soul」という論文(以下、SBT論文。Audrey Tangは著者に含まれていませんが、Audrey Tangへの謝辞が記載されています。)に一つの手がかりがあります。この論文は、Soul Bound TokenというWeb3におけるIDに相当するTokenを提案した論文ですが、その論文の中に太字で以下のような記載があります。

Cambrian explosion of cooperatively constructed plural intelligences rooted in social provenance and governed by Souls

Decentralized Society: Finding Web3's Soul

この一文と論文全体を合わせて読んでみると、Pluralityには、plural intelligences(多元的知性)を共進化させる(せめぎ合わせる)ことによって、自己組織化臨界の領域(カオスの淵)へと社会全体を誘導するという思想が伺えます。

結論

以上のようにして見てみると、「なめ敵」もPluralityも、大きな部分組織によって統治されている中央集権的な統治構造(のみ)ではなく、外部環境の変化に応じて適応度が向上し易いような統治構造へと自律的に変化するようなアーキテクチャを有する社会に変革することを目指している点において共通性があるように見えます。

その他の観点①: 計算システムとしての社会システム

鈴木健氏もGlen Weylも、社会システムを計算システムとして捉えるという点で共通しています。鈴木健氏は「なめらかな社会とその敵」の第IV部「自然知性」でその点について論じており、Glen Weylも著書「ラディカル・マーケット」[4]の「エピローグ」でその点について論じています。システムを計算システムとして捉えた場合、計算能力がカオスの淵で最大になることを考えれば、社会システムのアーキテクチャを変革して、社会システム全体をカオスの淵に誘導しようという思想は自然に出てくると言えるかもしれません。

その他の観点②: Network of Processesとしての現実と仏教哲学

Audrey TangとGlen Weylの共著Pluralitybookの本文冒頭では、ループ量子重力理論の提唱者の一人であるCarlo Rovelliの以下の言葉が引用されています。

Reality is not a collection of things, it’s a network of processes.

Carlo Rovelli

一方、鈴木健氏は「なめらかな社会とその敵」の「あとがき」にも書いているようにオートポイエーシスの思想に強く影響を受けています。そして、そのオートポイエーシスの提唱者の一人であるF.J. Varelaは、著書「身体化された心」[5]の中で、同書の核心部分をなす重要な思想としてナーガールジュナの中観派の思想(仏教哲学における重要な思想)に言及しています。

ナーガールジュナの思想は、Carlo Rovelliの言葉を借りれば、世界をcollection of thingsではなくnetwork of processesとして見る世界観と言えます。実際、Carlo Rovelliは、ナーガールジュナの思想に接したときに深い感銘を受けたと述べています[5]。

「なめ敵」とPluralityは共通する哲学を有していると言えそうです。

ちなみに、スマートコントラクトをnetwork of processesの実装と見れば、その革新性が理解し易いと考えています。従来技術と何が異なるのか分かりにくい場合には、F.J. Varelaの著書「身体化された心」[5]の中に出てくる13人の職人が家を建てる例が参考になると思います。その例で言うと、(家の)情報をコード化した指令を含む本を渡されるグループが一元論的、プロセスをコード化した指令を含む本を渡されるグループが多元論的です。結果物(家)は同じですが、情報をコード化するのかプロセスをコード化するのかで、パラダイムが全く異なります。スマートコントラクトは、多元論的なパラダイムの技術とも言えます。

その他の観点③: 一即多、多即一

Pluralityに限らず、多元論的思想における論点として、 一即多、多即一をいかに実現するのかというのがあります。つまり、総体としての一つの現実世界を共有しつつ、世界の見え方の複数性をいかに実現するのかということです。

この点については、鈴木健氏は「なめらかな社会とその敵」の第9章「パラレルワールドを生きること」などで論じています。他の章も合わせて読んだ印象では、一即多、多即一を実現する上で矛盾が生じるのは避けがたいものとして、その矛盾をテクノロジーによって解決するというアプローチのように見えます。

一方で、Pluralityの方は、上で引用したSBT論文の一文の中に"plural intelligences rooted in social provenance"(太字は著者による)とあるように、フィジカル空間のコンテキストをサイバー空間に持ち込んで相互接続しようという思想のように見えます。Pluralitybookにおいて、Carlo Rovelliを引用してcollection of thingsからnetwork of processesへのパラダイムシフトを啓蒙していることなども合わせて推測すると、network of processesでのパラダイムでは、矛盾を生じさせることなく、一即多、多即一を自然に実現できると考えているのかもしれません。

この観点においては、「なめ敵」とPluralityでは考え方に若干違いがあるのかもしれません。

ちなみに、Pluralityの思想を実装するには、コンピュータ・アーキテクチャのレベルで、collection of thingsからnetwork of processesへのパラダイムシフトが必要になると見ています。実際、PluralitybookのIntroductionの最後のパラグラフには、以下のような記載があります(太字は著者による)。現在主流になっているコンピュータ・アーキテクチャのパラダイムとは全く異なるパラダイムの技術が必要になってくることをAudrey TangやGlen Weylも認識しているのではないかと見ています。

Another path is possible. Technology and democracy can be each other’s greatest allies. In fact, as we will argue, large-scale democracy (or, as Civilization VI would call it, Digital Democracy) is a dream we have only begun to imagine, one that requires unprecedented technology to have any chance of being realized. By reimagining our future, shifting public investments, research agendas, and private development, we can build that future. In the rest of this book, we hope to show you how.

Pluralitybook

例えば、Soul Bound Tokenのような関係主義的なIDを実装するには、collection of thingsでは原理的に難しいと言えます。同一のIDによって表現される人に対して、別のある人から見た場合には天使のように見え、別のある人から見た場合には悪魔のように見えるといった矛盾する属性を付与することは難しいからです。周りとの関係性によって場合分けをして属性を切り替えることも考えられますが現実的とは言えません。

network of processesのパラダイムにおけるコンピュータ・アーキテクチャとしては、例えばホログラムを利用した光コンピュータ[7]などがあります。見る方向に応じて見え方が異なるというホログラムの特徴は、Pluralityの思想を実装するのに適していることがイメージし易いと思います(ホログラムを信号変換器と見れば、深層学習のようなニューラル・ネットワークの内部に自己組織化的に形成されるフィルタも一種のホログラムと見なせるので、ホログラムの実装形態は光学素子に限らない)。光コンピュータなどのnetwork of processesのパラダイムにおけるコンピュータ・アーキテクチャは、従来のコンピュータ・アーキテクチャではほぼ必須になっているメモリ(記憶装置)をなくすことができるという特徴もあります[7]。巨大なnetwork of processesを用意して、境界部分のプロセスに信号を送れば、あとはnetwork of processes内部のプロセスの連鎖で計算が行われるというコンピュータ・アーキテクチャも考えられます(モメンタム・コンピューティングのように計算結果のみを観測すれば熱力学的な損失も大幅に減らせることも期待できます[8]。測定型量子計算(MBQC)も広い意味ではnetwork of processesのパラダイムの技術と言えるかもしれません[9][10]。)。ホログラフィックメモリ[7]のように、記憶も計算結果として動的に生成されることになります。

collection of thingsからnetwork of processesへとパラダイムシフトするためには意味論の転回[11]が本質的に重要になってくると見ています。記号の意味が一元的に付与されることを前提としたシステムではなく、記号の意味が多元的に創発してくるシステムを考える必要があるということです。network of processesのパラダイムにおけるシステムを記述するのに適した言語として圏論[12](現代数学の一分野)やプロセス理論[9]があり、圏論やプロセス理論をもとにした意味論[13]も重要になってくると見ています。Audrey Tangも圏論に関心を持っていると自著[14]の中で述べています。「なめ敵」やPluralityが目指す世界を実装していくには、そうした圏論やプロセス理論などを用いて、具体的にシステムを実装するための意味論やコンピュータ・アーキテクチャの開発が必要と見ています。

  1. 鈴木 健, "なめらかな社会とその敵 ――PICSY・分人民主主義・構成的社会契約論", 筑摩書房 (2022).

  2. Herbert Alexander Simon, "The Sciences of the Artificial", MIT Press (1996).

  3. Stuart Alan Kauffman, "自己組織化と進化の論理―宇宙を貫く複雑系の法則", 筑摩書房 (2008).

  4. Eric A. Posner, E. Glen Weyl, 安田 洋祐 (監訳), 遠藤 真美 (翻訳), "ラディカル・マーケット 脱・私有財産の世紀", 東洋経済新報社(2019).

  5. Francisco Varela, Eleanor Rosch, Evan Thompson, 田中 靖夫 (訳), "身体化された心―仏教思想からのエナクティブ・アプローチ", 工作舎 (2001).

  6. Carlo Rovelli, "世界は「関係」でできている 美しくも過激な量論", NHK出版 (2021).

  7. 石原 聰, "光コンピュータ", 岩波書店 (1989).

  8. P. ボール, "クール・コンピューター 熱くならないコンピューターを作る", 日経サイエンス2023年5月号

  9. Bob Coecke, Aleks Kissinger, 川辺治之(訳), "圏論的量子力学入門", 森北出版 (2021).

  10. Anton Zeilinger, 大栗 博司 (監修), 田沢 恭子 (訳), "量子テレポーテーションのゆくえ: 相対性理論から「情報」と「現実」の未来まで", 早川書房 (2023).

  11. 谷口 忠大, 河島 茂生, 井上 明人, "未来社会と「意味」の境界: 記号創発システム論/ネオ・サイバネティクス/プラグマティズム", 勁草書房 (2023).

  12. Brendan Fong, David I. Spivak, 川辺 治之 (訳), "活躍する圏論: 具体例からのアプローチ", 共立出版 (2023).

  13. Chris Heunen, Mehrnoosh Sadrzadeh, Edward Grefenstette, "Quantum Physics and Linguistics: A Compositional, Diagrammatic Discourse", Oxford Univ Pr (2013).

  14. Audrey Tang, "オードリー・タン デジタルとAIの未来を語る", プレジデント (2020).




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?