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よんごひんご日記《6.3-6.9》


3日(月)
年々、刺激に弱くなってる気がする。緊張感の高いW杯のような試合を見てられなくなったり。格闘技は見れないしなあ。あと「バカ」「アホ」「低脳」みたいな言葉を使う人がとにかく苦手。ゲームでスペックの低いパーツを「ゴミ」と呼んだり、サッカーゲームとはいえ希望ではない実在する選手を引き当てたら「ゴミ」。見て聞いてぎゅっとなる。そういう人らって血の気が多いっていうか、すごい早いテンポで生きてるんだろう。いちいちそんなチンケなことを気にしてる奴に構ってる暇なんかねぇ、次だ次!みたいな。命のbpmが速い。ぼくはゆっくりでしか生きられない。もうこれでいい。

4日(火)
たしかにバンド名って略される。サザン、ミスチル、バンプ、アジカン。。。「THE」がついてるバンドは、「THE」を読んでもらえない。アルフィー、イエモン(略されてもいる)、ブルーハーツ、ビートルズやローリング・ストーンズでさえ。その点、略されもせず、「THE」も読まれる、The Who 。

5日(水)
朝ご飯を食べ、家を出るまでの間。布団に寝っ転がる。いつもTVerとか、ラジオとか、ユーチューブの本要約とか聴いてる。今日は無音にしてみる。窓は半分開けている。遠くで低くブーンと一定に聞こえるのは近くの工場がもう動き出してるのか?耳鳴りがする。耳鳴り?甲高い電子音みたいなピーって。でもこれは無音になると昔から聞こえてた気もする。通常はなにも聞こえないのかな? 視力が悪くなっていった子どもの頃、500円玉ほどのステンレスの部分をまぶたの上から当てて、ピーって鳴るやつやってたな。アレなんだったんだろう。調べたら今でもあるみたい。なんとなく画像見るだけにしといた。。。

6日(木)
今日は久しぶりにしんどい日だった。しんどくしてるのは自分だとも思った。10年以上前、仕事先のおじいさんが話してくれた。戦争のこと。家を自分で建てたこと。真面目に生きなさいと言われた。「真面目が通らないところはない」と。真面目過ぎるきらいがあると思ってたから、肯定してくれたみたいで嬉しかったし、以来大事にしてきた。でも最近はどうだろう。正しいのは自分。って思いが強く出過ぎな気がしてる。「真面目じゃない」には、モラルがない〜法律を守らないまでグラデーションがあるのに、全部を一緒くたにして、嫌悪してる。いつの間にか「オレかオレ以外か。」と、金髪ロン毛でも、グラサンでも、成功者でもないのに。そんな風に思ってしまっている。よくない。

7日(金)
そうなんだよ。結局行き着く先は、生きるのってめんどくさいなーってこと。リセットしたいってこと。

8日(土)
「個人的には」って最近よく聞く。どこから矢が飛んでくるか分からないからね。「させていただく」もよく聞く。下から下からいっていれば取り敢えず安心だからね。あるラジオパーソナリティーがよく使ってる。「私、ダイビングさせていただくんですが」地球に感謝みたいな意味?「私、筋トレさせていただいてるんですが」それはご自身の判断でどうぞ。極めつきは「実は先週、手術させていただいて」いやいや、それはわからん。お医者さん側のセリフ?『◯◯さん、麻酔から覚めましたね?実は、手術させていただきました。』そんなシチュエーションある? あれだ、魂の器としての肉体が、魂に向かって『貴方様の容れ物としての肉体ですが、欠陥が見つかりまして、手術させていただきました。』これが一番しっくりくる。尊敬語か謙譲語かなにかわからんけど、全方位的に角が立たないように変な気を使い方をするからこんなトンチンカンなことになるんだ。以上を個人的な結論とさせていただきます。

9日(日)
パーキングエリアに行った。高速に乗らなくても一般道から入れるPA。夜のPAが好き。なんだろうな、「休憩する場所」と提示されてるからかな。心置きなく休める。休むことの罪悪感を感じながら日々に追われているところへ、さあどうぞ休んで下さい。と言われると全体重を預けてもいいんだと思えるからかな。
車から降り伸びをして、暗くて少し不気味なガランとした駐車場を横切るとき、ぬぼーっと立ってるあの自販機で、何買おうかな?変わり種あるかな?と思案してる時間がいい。ちょっと無理して飲み干して、気合い入れ直して缶を捨てる。来た道と行く道の等間隔の街灯を見るのがいい。夏でも冬でもいい。
今日は昼間に行った。売店でカレーパンとお饅頭を買い、食べようとベンチを探したのに見つからず、雨上がりのせいで植え込みの広い縁石にも座れず、車で食べた。今度は夜来よう。グッナイ小形がよく合うだろう。
帰り。
あじさいの名所へ寄った。休日の午後に出かけることもまれだし、名所に来るなんてもう。老若男女たくさん人がいて、世の中っていろんな人がいるんだなとバカみたいな感想をもつ。途中の狭い通路でアベックが互いにあじさいバックに写真を撮り合っていた。こちらの気配に気付いて慌ててしまい、ベストショットを撮り損ねるといけないので、距離を空けて立ち止まり待った。撮り終わった彼氏と目が合ったが、会釈のひとつもなかった。別にお礼を言って欲しいわけじゃない。でもこっちに気づいたでしょ?撮り終わるのを待ってから歩き出したおれを見てたでしょうよ。お礼を言って欲しいわけじゃないよ。そりゃあ、おれだって待ってる間「こっからの景色もいいな」感を出しつつ辺りを見渡してたよ。でもそれは、万が一こちらに気づいた時「待たせてるんじゃなくて、自分の意思であそこに立ち止まった人」の演出だよ。
そろそろ終わりそうな気配を感じ取って、進行方向のあなた達を視界の端に入れながら「終わりましたかー?」感は出したけども!出したけども、邪魔したくなかっただけよ。
いや、彼だって気づかなかっただけだ。そういうこともある。
昔野球で鍛えた脚力で展望台までの階段をぐんぐん昇る彼について行けなくなり、でも「待って」と言えない彼女が、写真を撮るふりをして息を整えてても、お前は気づけないんだ。知ってるか?あじさいの花に見える部分は実は花じゃないんだよ。やさしさはいつもわかりやすく、やさしさの顔をしてないんだよ。

こっから、「気弱な彼女」と「気弱な自分」のシンクロと、「彼氏の傲慢」と「自分の不手際」を、PAでの出来事を絡めながらシンクロさせて、妄想と自虐でまとめると、いい感じのエッセイにできるかと思ったけど、無理そう。やめる。

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