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ふわふわよれよれ

日曜日。小雨。
コインランドリーで、洗濯が終わるのを待ってる。

毛布を縦に四つ折りにして、店内に備え付けの大きなテーブルに置く。その上に薄い毛布生地の羽毛布団カバーを同じく四つ折りにして重ねて、さらにその上に四つ折りにしたモコモコ敷シーツを重ねる。最後にモコモコ枕パッドを置いて、これらをまとめてくるくる巻く。デニッシュロールパンみたいに巻く。そうして出来た、直径50cmほどの毛布デニッシュを大型洗濯機に押し込み、700円投入。
備え付けの椅子に座り、本棚にあったビジネス雑誌の別冊付録『1000万円貯まる!』をパラパラめくる。参考になるようなならないような、人様の家計簿やポートフォリオを眺めながら、宝くじ当たんねぇかなぁとか考える。

30代くらいの男性と小学生の女の子が近づいて来る。
「すみません、あの白い車の方ですか?」
大きな窓から見える僕の白い車を指して言う。はい。と答えると、車のドアを開けた際、僕の車にぶつけてしまったと言う。
「あー、はいはい。」
『1000万円貯まる!』の表紙を伏せるように棚に戻し立ち上がる。
正直、めんどくせーと思った。この時点でキズの程度はわからなかったけど、めんどくせーと思いながら車まで歩いた。車のそばで立っていた女性が一礼した。「ここなんですけど。」と言われ見てみると、確かにキズが付いている。樹脂製っぽいフロントバンパーのちょうどカーブの出っ張ってる箇所で、全長1センチに満たないぐらいだが、確かに凹んでる。
うーん、ビミョー。めんどくせーーー。 

これは母親が乗ってた車。亡くなる2年くらい前に新車に買い替えたやつで、名義変更して乗り継いでる。もう7年は経つだろうか。愛着がないわけじゃない。洗車が好きでいろんなグッズをアレコレ試し、内も外もキレイにしている。つい先日もフロントガラスに撥水コーティング剤を塗り直して、雨の日にルーフに溜まった雨粒を、きゅっとブレーキをかけてフロントガラスにザバーッと流し、それをワイパーでブシャーっと蹴散らす遊びを楽しんだ。

「あーーこれ。まー確かに。んーめんどくさいよなー。んーーー。」
周りにギリギリ聞こえるような声量の独り言を言いながら、一応キズを指で触って確かめる仕草をしてみたりして、「これは前からありましたもんねえ」と、母が付けたであろうキズも触ったりした。でも、一目見た時から心は決まってた。
「いいですよ、はい。」
「えっ!」っと驚かれた。「え、いいんですか?」と念を押してくれたけど、でも、「いいですよ、こんくらいなら。まぁありますよ、こんなことも。はい、いいですよ。」ゆっくり体を反転させながら言い終える。女性は何度か頭を下げていた。すみませんでした。を半分背中で聞きながら、半分逃げるような気持ちで店内に戻った。

いいことした。とは思わない。もちろん。
もっとド派手なキズがついてたら、ちゃんと事故として警察に届け出たけど、いやそうじゃなくても届けないといけないんだろうけど。
こんくらいのことで警察沙汰にしやがって。と思われるんじゃないか?とか、めんどせーみたいな不貞腐れた態度を取られたら「あー見逃せばよかったー」って食らう自分も想像できる。このあと家族で買い物行く予定で、それを楽しみにしてた女の子が悲しむかもなー。なんてことも考えるし、親が失敗したり怒られたり、恥をかいている姿をこの子に見せたくないな。なんてことも少し。

自分の行為が、相手の負担になるのが怖い。
なんかもう早く忘れよう。被害者なのに、加害者みたいな胸のざわめきがぐるぐるぐるぐる回って、遠心力でぐらつく自分を保っていたら、洗濯終了の音が鳴った。
ほとんど原型を留めていない毛布デニッシュを引っ張り出し、隣の大型乾燥機の中へ放り投げる。
寝具を一新して眠りから生活の質を上げようと、質のいい布団一式を奮発して揃えたのは、もう何年も前。タンブラー乾燥だと生地が傷むからと、購入直後は乾燥機を避けていたのがウソみたいな流れ作業で、300円を投入。

そういえばさっきの家族、雑誌を読んでた時に洗濯かごを持って入ってきて、乾燥機にかけてたような。車をぶつけたのは駐車場から出ようとした時で、つまりあの家族は乾燥が終わった洗濯物を取りに、またここへ来るってことか。戻って来たとき「あ、あの白い車まだいるね。会うと気まずいから、また後で来ようか。」みたいになるんだろうなあ。
そうだ。
いまは、駐車場全体が見渡せて、且つ店の出入り口を向いてる駐車。これを移動させよう。隣の家のブロック塀向きで、しかも出入り口から離れた上に背を向ける位置、そこに停め直した。家族が戻って来たとき「ねぇ、さっきの人いる?ううん、車の中じゃない?じゃあ大丈夫だね。今のうちに洗濯物取って来よう!」って思える。そりゃまあ少しは申し訳なさそうにして欲しい気持ちもあるけど。

あーあ、なんのためにこんなことしてるの。こんなことなら、乾燥だけ他のコインランドリーに行けばよかった。あーあ。

毎日がいっぱいいっぱい。「普通の一日」でさえこんな風にずーっとなにかをぐるぐる考えて消耗してる。新品のふわふわだった心は、繰り返される「普通の一日」に使い倒され、流れ作業的に明け渡して来たかもしれない。
イレギュラーな事なんて、何より負担で、エネルギーの消耗も半端ないから、常に願っていることは「これ以上なにも起きないで」。
だからあんな微細な事故なんて、ないものとして扱う。多少不利益を被ったって、自分が我慢してそれで波風が立たないなら、もうそれでいい。「ガマン」の感覚すら既になくなったかも。「そういうもん」として、弾力を失ったよれよれの心に染み込む。

乾燥の終了時間を知らせるアラームが鳴った。
結局、家族は戻って来なかった。
不安、恐怖、緊張、疲弊、代わる代わるいくつも重ねて、取り越し苦労と分かれば、それらをまとめてくるくる巻く。毛布デニッシュくらいになる。誰にも言わず一人飲み込む。その繰り返し。不快に腹は満たされ、何をするにも、人に会うのも、とにかくここから動くのが面倒になっていく。

あったかくてふわふわの毛布を畳みながら、本棚が目に入る。別冊付録『1000万円貯まる!』の本誌特集は、『幸せに生きるために今、やるべきこと』。

杞憂デニッシュを、ひと口サイズにすること。


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