05言葉拾いの記

 本好きの私にとって、本を読むことの楽しさの一つに「言葉拾い」があります。
 本を読んでいて、自分の想いをうまく表現した言葉や美しい言葉、ためになる言葉などに出会ったとき、思わずラインマーカーでその箇所に線を人れることが癖になっています。
 「本は汚しながら読むべし」が私の読書スタイルです。それだけに他人に貸したり、古本に出したりすることはありません。線のはいった箇所を他人に見られると自分を見透かされるような気がするからです。
 そして、本を読み終えたとき、改めて線を入れた箇所を拾い読みし、その中でも特に心に響いた言葉をノートに書き写したり、パソコンに入力してストックします。

 高校時代は机の横の壁に大きな模造紙を貼っておき、手当たりしだいに書き込みました。 本を読む度に見つけだした言葉で紙面が埋まっていき、真っ白だった紙がしだいに黒く変わっていくことが快感でした。隙間を見つけては書き、また本を読み、さらに書き足していくうちに名言で埋め尽くされ、気に入った言葉でいっぱいになった模造紙を見て深い満足感を味わったものです。
 また、自分が書き込んだ言葉に自らが励まされたことも少なくありません。
 今振り返ってみると、落書きのおもしろさも加わっていたような気がします。

 私たちは言葉を使って意志の疎通を図っていますが、普段はそのことをほとんど意識していません。
 しかし、言葉をなくすことは空気をなくすことに匹敵するほど必要なことなのです。「人間は考える葦」である以上、常に何かを考えずにはおれません。そして、考えるということは言葉を使って考えているわけです。
 本を読むことによって考えの素になる言葉を常に自分の中に補い続けたいと思います。

 針のような一言で夜も眠れないことがあったり、死を決意することだってあります。 逆に、暖かい言葉によってよみがえることも少なくありません。
 優しい言葉をたくさん持った人は、人より優しくなれるし、楽しい言葉を多く持った人は、人より楽しくなれるのではないでしょうか。
 そして、「書き言葉」が「話し言葉」として表現できるとき、それが人格として定着していくような気がします。

 本は言葉であふれています。しかも文字の力を借りて何度も読み返せる言葉として存在します。
 過去の偉人が残してくれた言葉は今によみがえりますし、自分の存在も将来に残すことができます。
 書き言葉を持つ文明と持たない文明には大きな差が生じたことは歴史の証明するところですが、人間の一生の中でもかなり大きな違いが生じるような気がするのです。
 本を読むことで人としてのきめの細かさやうるおいができるのではないでしょうか。

 野に咲く花は私たちの心を慰めてくれますが、それらはできることなら摘み取らず、自然の中で味わいたいものです。しかし、言葉という葉をもつ名言の花をせっせと摘み取っ てノート等に採集することは大いに実行したいものです。
 気に入った言葉をゆっくり書き写すとき、その言葉を見つけた満足感と自分を一歩成長させてくれた充実感を感じます。特に、ストーリーの中でさりげなく表現された名言には 深い味わいがあります。
 長女が小学校の頃、自主学習を何にするかという相談を受けたとき、黒柳徹子さんの『窓際のトットちやん』を最初から書き写すことを勧めました。その本のすベての言葉を拾うことにより、長女は何かをつかんだようです。
 これにより本好きの血は確かに受け継がれました。

 時々、過去に読んだ本を取り出して読み返すとき、そこに線を入れたときの自分が懐かしく思い出され、思わず時間を忘れるときがあります。
 言葉を拾いながらの本とのつきあいはこれからも続きます。

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