207 仕事と遊び

 退職してから、遊びと仕事の捉え方が逆転しました。
 現役の頃は、仕事を遊びと思えるくらい楽しんでやろうと考えていました。いわゆる仕事の遊び化です。仕事が遊びなら、一生遊んで暮らせる、遊んでお金がもらえれば、これに勝るものはないと思っていました。
 そして、定年を迎え、好きなことばかりやっていられる条件下に身を置いてみると、「遊んで暮らす」がどうもしっくり来ないのです。それより、すべてを仕事的にとらえる方が、日々充実して感じられました。
 仕事には、やりあげた後の充実感があります。一方、遊びは仕事に比べると楽しいけれど、何となく物足りなさが残ります。 楽しいばかりの毎日は、ケーキばかりを食べて暮らしているようなもので、日が経てば、なずんで来るのです。
 しかし、好きな事ばかりをやりながら日々を過ごしたいという想いは、定年後の夢としてきただけに断ちがたく、何とか仕事からくる充実感を味わいながら、好きなことに没頭できないものでしょうか。
 遊び感覚でやるとは、疲れるという感覚を少なくして事に没頭したい、という欲求の表れです。現役の時は思い通りに事が運ばず、しんどさは避けて通れなかっただけに、それを遊び化して切り抜けようとしたのでした。
 退職した今に至って、仕事の有り難さ、仕事のすばらしさが分かったような気がします。そこで冒頭に述べたような逆転の発想に結びついたのです。つまり「仕事の遊び化」が「遊びの仕事化」に変わり、さらには「生活の仕事化」へと発展させようと考え直しました。
 炊事洗濯・買い物・掃除・・・・・あらゆる日常茶飯事を仕事として捉えてはどうだろうか。どれもこれも、ごくありふれた事ながら、その道を究めるのは難しく、取り組み方、考え方によっては、仕事にも遊びにもなることばかりです。仕事のように段取りを立て、実行し、後始末をすることに変わりはありません。無駄なく行うには相当の工夫を要し、終えた後にはけっこう充実感が伴います。仕事と見なして何の遜色もありません。
 生活することを仕事と捉える事で、定年後、遊んで暮らしているという感じが取れて、やりがいが湧いてきました。「生活という仕事」に従事することが、気持ちにハリを持たせ前向きに生きることにつながり、日々の在り様が違って見えてきたのです。
 仕事には給料が必要ですが、「年金」という形で給料が支払われていると解釈すれば良いのではないでしょうか。今まで納めてきた年金は、過去の人達を養ってきたもので、今、自分が手にしている年金は、現在の若者達から戴いているものと考えれば謙虚になれます。収めてきたのだから貰って当然、という姿勢も改まり、精一杯仕事に励むことに繋がります。
 運動・学習や鑑賞・清掃といった事を仕事と見なすなど、今になるまで考えてもみませんでした。しかし、世の中には清掃作業員や映画評論家、作家、アナウンサーなど、私が仕事と見なして取り組もうとしていることを生業としている人がいます。それだけ、これら一つひとつの奥は深く、極める価値があるというものです。各分野とも、その気になってアプローチすれば残りの人生が質の高いものになるに違いありません。
 「仕事の遊び化」「遊びの仕事化」主体は違っても、詰まるところは、それを通して自分を高め、楽しませるものでなければなりません。「仕事は組織化された遊びである」というのが、どうやら私の結論のようです。好きを仕事にするのが一番です。
歳から来る寂しさが、少し小さくなったような気がします。

 【気付きと対策】

※ 現役の時は「仕事の遊び化」を図り、退職後は「遊びの仕事化」を図りましょう。

 ・ 高揚感の感じる遊びを仕事化することは、終盤の人生を心弾ませて歩むコツだと思えます

・ 仕事化できる遊びや取り組みを生活の中に見つけ出そう。

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