まえがき


これまで多くの人とのかかわりの中で生きてきて、いちばん心に願ったことは「穏やかな心」を保つことです。
いろいろな人との出会いによって生じたドラマは、私に多くの教訓と考える材料を与えてくれました。
それぞれの人かそれぞれの条件の中で生きています。それを自分という別の人間が自己 の考え方に当てはめようとしたとき、様々なトラブルが生じるようです。
そもそも、自分という存在においてさえも「本能的な自分」と「理性的な自分」があり、 自分のことながら、ままならぬことがたくさんあります。この二面性をコントロールして 自分をすっきりした状態におきたいと思います。
毎日繰り返す日常的なことに意義を見つけながら、他人にとらわれることなく、心弾むような時を積み重ねたいと願っています。
朝起きてから夜寝るまでの間には、意識せずとも多くのことにかかわつています。
まず、目覚めを心地よいものとすることからはじまり、続いて起こる様々なこと、挨楼、 歩く、食べる、通勤、仕事、話す、学ぶ、遊ぶ、読書、テレビ、入浴、就寝など、多くのことにかかわりながら暮らしていますが、残念ながら惰性的に繰り返しているケースが多いものです。
これら当たりまえのことに、もっと価値を与えられたら毎日の生活が有意義なものになると思うのです。
たとえば「話をする」こと一つをとっても、楽しい会話を成立させることは難しいものです。
朝起きてから夜寝るまでの間に話していることを文字に置き換えれば、ゆうに一冊の本になるでしょう。その本を読むとき、楽しさあふれたものとなっているでしょうか。
毎日話す会話がユーモアに満ちた楽しい会話になれば何とすばらしいことでしょう。
また、「呼吸する」ことだってそれを極めるとなると難しいし、極められたらすごいパワーを身につけることになります。息をするなんてことは普段、意識にものぼらないことですが実は大変なことなのです。
歩くことだって、食べることだってそうです。
健康面からも、知的な面からも、歩くことの重要性は多くの人が指摘するところです。 ウォーキングに関する本もたくさん出版されています。
また、食に関するテレビ番組も多く放映されており、旅番組や料理番組などグルメばやりです。そういう豪勢なものはさておき、程よく飲み、腹八分に食べることの難しさを感じております。
この一見、何でもないことの中に含まれているすごいものに目を向けられたらすばらしいと思うのです。
独りの時は独りとしてやることがあり、相手があるときは相手とのやりとりに価値を見つけて、それぞれ、その場にやりがいを存在させるようでありたいものです。
このように考えていくと「独りの時は神の与えし時間である」というのもうなずけます。 多くの人とのかかわりで成り立つている生活の中で生じる独りの時は、自分で時間を独占しながら知識を蓄えられる贅沢な時間となります。
今、この随筆を書くとき、その意味がわかるような気がします。

五十歳の誕生日を迎えるにあたり、これまで考えてきたことや経験してきたことを「心つくして」と題して随筆にまとめました。
ご一読のほどを。
平成八年八月

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