402 私の「読み、書き、そろばん」

 「読み、書き、そろばん」は昔から学習の基本とされてきました。私も自分流の「読み、書き、そろばん」を日々の学習の軸として組み立てています。
 私にとっての「読み」とは、もちろん読書なのですが、意識的に「黙読」と「音読」を使い分けています。
 音読は、ただ声を出して読むというのではなく、ICレコーダーに吹き込みます。つまり音読録音です。略して「音録」と称しています。実際にやってみると、音録はかなりのエネルギーを要します。三〇分も声を出して読めば、けっこう疲れます。その気になってテレビ等を見ると、プロのアナウンサーによるニュースの読み上げやドキュメンタリーのナレーションなど、お手本となる朗読は、たくさんあります。最初の頃は自分の声に違和感を感じましたが、最近ではカラオケ感覚で楽しんでいます。回を重ねるに連れて、読み方も少しは上達したかな、と思っています。
 ウォーキングの時、自分の声を聞きながら歩くと、三〇分くらいはあっという間に過ぎてしまいます。思わぬ効果でした。
 音読は脳にも健康にも良いと言われていますし、書物は生き方の参考になる事に満ちています。今まで長い間付き合ってきた本ですが、黙読・音読を含めて「私の生きる力」となっていることは確かです。最近は「書き込み読書」を開発中です。
 「書き」の内容も「書写」と「執筆」に別れます。
 書写は、中国語、英語の作品を日本語の対訳と合わせながら、写経に似た感覚で行います。天声人語を書き写す人も多いようですね。考えることに疲れたとき、これらを丁寧に、ゆっくり書き写すことに専念します。書き写していると気持ち整えられて、やる気が充電されてきます。
 「執筆」は随筆や講演原稿などです。書くことが日々の反省につながり、書いたことは「生きた証」となります。
 随筆「心つくして」を初出版して以来、二〇年の月日が流れました。以後、紀行文「紀の川散歩道」「四季の高野山町石道」を書き上げました。
 一時期、アクシデントに見舞われ、文章が思うように書けなくなって執筆を滞ってしまいました。今一度初心に返り、謙虚な気持ちで筆を起こしたいと思っています。次作のタイトルを「日々に想いを」に決めました。新しい歩みをこの文章に綴り込みたいと思っています。
 私にとって「そろばん」とは専門教科の数学です。内容的には「演習」と「指導」に別れます。
 「演習」は主に大学の入試問題に目を通しています。数学鑑賞と称して、その年度に出題されたセンター試験や入試問題を確認するようにしています。
 定年後、経験を生かして数学教室を開設し、指導しています。数学は、現役の頃から関わってきただけに、実利的にも、精神的にも正に生きる糧となっています。
 私の癖として、取り組んだ内容を見える形にし、それを収集するというスタイルがあります。具体的に言いますと、先述したようにICレコーダーに声を録音して、内容を保存していくとともに、読み込んだ本を、読んだ順に本棚へ立てて並べていきます。年間五〇冊が目標です。
 数学は一日一題を解き、整理してまとめたものをノートに収めます。このようにして、溜まった物は、私の宝物となって着実に増えていきます。
 「生きる力」としての読書、「生きた証」としての執筆、「生きる糧」としての数学が私の「読み、書き、そろばん」なのです。

【気付きと対策】

※ 生涯続けられる各個人用の「読み・書き・そろばん」を設定しましょう。

・ 取り組みの「見える化」を図り、溜め込むと、何物にも代え難い宝物を手にすることになります。

・ その宝物は、また、次のやる気を作り出してくれます。

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