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支援者になろうとしなくていい。子どもと自分にとってのウェルビーイングとは?

私が働くNPO法人PIECESでは、「Citizenship for Children」(CforC)という、子どもに関わる大人向けのプログラムを開催しています。現在、2021年度の参加者を募集中なのですが、改めてこのプログラムが今どうして社会に必要なのか、どんなことを大事にしているかについて書いてみようと思います。

※主に、既に何らか子どもとの関わりや支援の機会を持っている人向けに書いていますが、プログラム自体は、これから何か始めてみたいという方もご参加いただけます。プログラムについて気になる方は、末尾のリンク先をご覧ください。

実は身近な「子どもの孤立」

「周りに人がいなかったわけじゃない。でも誰も自分の本当の気持ちに向き合おうとしてくれなかった。どうせ大人なんて誰も信用できないと思ってきた。一人でもいいからちゃんと話を聞いてほしかった」

ソーシャルワーカーとしてこれまで多くの子どもたちの声を聞く機会がありました。その中で、このような言葉で、自分の今までの状況を教えてくれた子どもたちがいます。

もしかしたら、こんな言葉を聞くと、ごく一部の限られた子どもの話のように感じるかもしれません。家族や学校の先生、頼りになる大人や支援者と出会えなかった一部の子どもの話ね、と。

だけど、どうやらそうじゃなさそうだというのが、これまでの経験や関連調査などから見えてきていることです。


たとえば、10年以上の前の調査ではありますが、2007年にUNICEFが公表したレポートで、日本では10人に3人の子どもが「孤独を感じている」と答えています。これは諸外国と比較しても抜きんでていて、およそ3倍の数であることが示されています。

物理的に誰とも関わっていないというわけではない。家族や学校などでも人との関わりはあるし、周囲から見たら友達と呼べる人もいる。だけど、本当の意味で自分の気持ちを伝えたり、助けを求めたり、安心して過ごすことができない。そんな「心の孤立」といえる状況は、顕在化しにくいだけで相当数いるのではないかと思っています。

視点を変えて、子どもの“いま”をみつめる

時々、子どもの支援に関わる人から「本当に必要としている子どもに届いていない」という話を聞くことがあります。あるいは、少し関心を持っている人からは「でも自分の周りにはそういう子どもはいない」といった声も聞こえてきます。

これらはいずれも、真実も含まれているかもしれない一方で、少し視点を変えてみる必要があると思っています。なぜかというと、どちらも大人の価値基準で大丈夫か大丈夫じゃないか、しんどい子かそうでない子かを決めているように思うからです。

子どもに限らずですが、「つらい」「しんどい」という気持ちや状態は、なかなか外からは見て取れません。それは専門家であっても同様です。

不登校や非行などとは違って、「分かりやすい子」ではなかったから自分は心配もしてもらえなかった。苦しさは物事の深刻さではなくて、その人が主観的にどう感じているかによって変わるはずなのに

そんな言葉で、子ども時代のことを語ってくれた人もいました。

「本当に支援を必要としている子ども」

もしその誰かが思い浮かんでいるなら、いろいろ試しながら、出会いのきっかけを作っていくしかないと思います。だけど、その誰かを漠然と思い浮かべている場合、確かにそういう子はいるかもしれないけど、そこにアプローチするのは専門家であってもなかなか難しいかもしれません。

それよりも、今どこかの場所で関わっている子や視界に入っている子が、もしかしたらSOSを出すタイミングを待っているのかもしれないという視点を持つこと。あるいは、そのつながりを切らさないことで、誰かの助けが必要になったときに側にいられるようにすることの方が大事だと思うのです。言い換えれば、「もうすでに出会っているのかもしれない」という視点で、日常の場面やまちをみつめることで、見えてくることがあるように思います。

支援者になろうとしなくていい

視点を変えたり、自分の価値観のメガネを外したりしながら子どもの“いま”をみつめること。
これは、CforCのプログラムでとても大事にしていることです。そしてもう一つ、このプログラムを行う理由であり、大事にしていることの真ん中に、「みんなが支援者になろうとしなくていい」という考えがあります。

子どもたちが感じていることと、大人が見ているものとの間には当然ギャップがあります。大人からしたら貧困や家庭環境が問題かもしれませんが、当の子どもは、九九がなかなか覚えられないことがしんどくて、みんなと同じように九九ができるようになることがただ一つの願いだったりします。自分の好きな本やアニメの話をしても、誰も関心を持ってくれないことで疎外感を感じる。そのことに心を寄せてほしいなんてこともあったりします。

そんな時に必要なのは、いわゆる支援者や専門家では必ずしもないはずです。むしろ支援者から逃げ続ける子どもがいたりすることを考えると、自分なんて対して子どもの力になんてなれないと思っているような“ふつうの人“の方がいいことも多いように思います。

近所のタバコ屋さんやコンビニの店員さんが自分の心の支えだった。

そんな声を子どもたちから聞くと、何か特別なことをしようとしすぎなくていい。ただ心を寄せて、自分に関心を向けてくれること、それが大切なことなのかもしれません。

また、人とのつながりが大事だとは思いますが、そもそも人との直接的な関わりが救いにならないことも気に留めておけるとよいのかなと思っています。
人との関係性の中で傷ついてきたときには、人と関わること自体がとにかくしんどくなってしまう。人と会うエネルギーを本人が持てていなければ、こちらがいくらその子のためを想っていても、しんどさが増幅してしまうかもしれません。はたから見たら困難な状況だからと言って、今すぐに解決してほしいと思っていないことだってあるはずです。

一人で部屋にいるときにラジオから流れてくる音楽や、他に誰もいない橋の下が自分にとっての居場所だった。そんな経験は、誰にでもあるのではないかと思います。

仲間とともに

「どうせ大人なんて誰も信用できないと思ってきた」という冒頭の言葉。

私たち自身も、知らず知らずのうちに、その「信用できない大人たち」の一人になってしまっているかもしれません。ですが、それは裏を返せば、その一人の大人のまなざしや関わりが変わることで、「ちょっと誰かに話してみようかな」「助けを求めてみようかな」に変わる可能性もあるのかなと思います。

視点を変えて、みつめてみる。自分自身の価値観のメガネを外したり磨いたりしてみる。これらはなかなか一人で行うには難しいことです。だからこそ、同じような想いを持った仲間とともに、学び合い支え合いながら、自分らしいあり方を探求し続けていくきっかけを作れたらと思い、CforCというプログラムを行っています。

◆子どもの支援に携わっているものの、何か違和感がある。
◆やっていることに意味がないことはないんだろうけど、それが何なのかよくわからない。
◆子どもと自分にとってのWell-biengなあり方について考えてみたい

そんな方に是非参加いただけたらいいなと思っています。
少しでも関心のある方は、まずは説明会に足を(オンラインなので、正確には「顔を」)運んでみてください。


読んでいただきありがとうございます。子どものウェルビーイングのために事業を行う「認定NPO法人PIECES」の事務局長をしています。いただいたサポートはNPOの活動資金にさせていただきます。