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「クレッセント」 インパルスのコルトレーン 3  John Coltrane on Impulse 3 "crescent"

第3弾は「クレッセント」(64)。

前回も述べたが、黄金のカルテット1作目にして充実作であった「コルトレーン」の後、カルテットとしてのスタジオ録音が企画物「バラッズ」を挟み64年のここまでない。もちろんこの間もライブ盤、企画盤、共演ものと多作ではあるし、ライブ盤で新曲を発表しているといえばその通りであるし、ライブ盤も+スタジオ録音で作られているので、リアルタイムでは不満もなかったのであろうが、スタジオ録音のみで作られたカルテットの作品は久々である。

この年の4月にインパルスと再契約。4月27日、6月1日と2回のセッションが行われ、このアルバムが完成する。ちなみに半年後12月9日が「A Love Supreme」セッションとなる。

で、この「クレッセント」であるが、個人的には過渡的な作品と思う。

確かに個々の曲の出来は悪くないし、何と言っても録音が素晴らしく、コルトレーンのサックスの音は滋味ぶかさを増している。さらに言うと、全体にバラード集的な趣がある中、一曲ごとに演奏の聴きどころもなくはない。

タイトル曲「Crescent」ではコルトレーンの饒舌であるが大変落ち着いた語り口に引っ張られ、聴き進んで行くと、途中唐突にマッコイがいなくなる。そこからのエルヴィンとコルトレーンの緊張感あるれるせめぎ合いが良い。

A2「Wise One」はコルトレーンのテナー・サウンドが滋味深い一曲。テーマ的な部分の後マッコイがリードをとって行くのだがここでのエルヴィンのシンバルワークがまた良い。その後、御大が再登場し..まあ、無難な線で終わるのだが、悪い演奏ではない。

A3「Bessie's Blues」はコルトレーンの再登場後に途中でやはりマッコイがフェードアウト、その後面白くなるかと思うとそうでもなく、これも無難な線で終了。
B1「Lonnie's Lament」は「Wise One」に通ずるテーマ。その後マッコイが引き継ぎ、4分ほど引っ張り、エルヴィンの煽りが入って少し盛り上がり、ギャリソンのベース・ソロへ。次作「A Love Supreme」ではベース・ソロが印象的に入り、全体の構成をまとめる役割を果たすが、こちらはその前哨戦的印象。ソロ終わりでコルトレーンがテーマを再奏するが、そこが曲全体の聴きどころとなっている感じである。まあ普通だ。

B2の「The Drum Thing」はタイトル通り、エルヴィン・ファンには嬉しい1曲。冒頭エルヴィンのポリリズミックな何か循環的なパターンで始まるのだが、アルバム全体でこの部分が新機軸であると言えなくもない。そんな中、ギャリソンが一つのノートを引き続ける、そしてコルトレーンの瞑想的という表現を使いたくなる、一筆書きで微妙なカーブを連ねていくようなメロディー・ラインが美しいトーンで奏でられ、ドラム・ソロに突入。
再度、冒頭のパターンに戻り、美しくも瞑想的に終わる。

個人的な聴きどころはA1とB2で、全体としても悪いアルバムとは言わないが、何か新たな事が成し遂げられたのか?という面から見た場合、過渡的という言葉がしっくりくる。

まあ、この後に「A Love Supreme」が来ることを知っている現時点だから過渡的としているのであって、リアル・タイムでの評価としては、このアルバムのナット・ヘントフによるライナーが参考になる。

そこでは「思索的」「瞑想的」との形容で、このアルバムをコルトレーンの「求道的」なあり方のその時点での表現として高く評価している。さらにオーネットが当時のコルトレーンを評し「最もリリカルなプレーヤーだ」と発言した旨も紹介している。

この感想は多分に「バラッド」「エリントン」「ハートマン」と続いたリリカルな企画物3アルバムの影響が大きいと感じる。

さて、現在では有名になった言葉であるが、以下のコルトレーンの発言もこのアルバムのライナー・ノートに引用されている。曰く。
「音楽家がやりたいと思っている一番の事は、彼が宇宙(ユニバース)に関して知っていたり感じていたりする、たくさんの素晴らしい事ごとの一つの「画(a picture)」をリスナーに示す事なのです。」
後を知る者にとっては、まだモデレートな発言に聞こえる。

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