大好きで埋めたい一頁

こんにちは、こんばんは、おはようございます。

最近気づいたのですが、記事タイトルの頁は
「おおがい」じゃなくて「ページ」ですよということを
ちゃんと主張するべきでしょうか。

こだわりも好きなことも好きなものもたくさんあるので
ぜんぶ貫こうとするときっと見づらくなるんでしょうね。

でも、きっとこのこだわりが「らしさ」なのだと
少しだけ天秤にかけるのが嫌になるときがあります。

らしさを出すことの難しさを感じます。



珍しく間が開かずに更新となった今回、
ふと思い至った好きなものについて
書いてみようかなと思いました。

大体いつも好きなものや好きなことばかり書いているので
改めて好きなことというのもおかしいかもですが。


たくさんある好きなものの中で、
昔は好きだったけれど、大人になったら
好きだと言わなくなったものってありませんか。


例えば、キャラクター

例えば、色

例えば、作品


これらは自分が言わなくなったものなので
人によっては全く違う何かがあるかもしれません。

隠すことはなにもない!好きなものには素直だ!
というかっこいい方もいらっしゃると思います。

かっこよく言える方はいいです。
でも、大人になると、相手次第で話が膨らむこともあれば
大人になってまで……という視線が痛いときがあります。

先日、週刊誌に連載される作品へは肯定的でしたが
それを派生させた二次創作を「妄想」と
否定する言葉を聞きました。
その人の感性では、妄想と想起に差分があるのでしょうか。
明確な線引が難しい思考の世界に於いて
想起や創造は妄想の一種と思っていたので衝撃でした。
それ以上質問を上げると好きを傷つけられる恐れを感じて
続く言葉を飲み込みました。

同じように言葉を飲み込むことが随分と増えました。
好きだけど、馬鹿にされるなら言わない。
好きなものを貶められるの嫌だから、隠す。

でも好きだなっていう気持ちがなくなるわけじゃない。
好きなものは言わなきだけで好きなんです。

かっこいいとかシンプルとか、モノトーンとか
そういう自分のイメージを勝手に作っては
あまり印象のないパステルカラーみたいな
可愛いに憧れてみたりしています。

きれいだとか、クールだとが言われたくて
でもちょっぴり不良みたいな垢抜け感に恋焦がれて
髪を切ったり染めたりしては憧れとも遠ざかります。

でも決してシンプルやかっこいいのが嫌なわけじゃない。
嘘偽りも勿論ありますけど、それは全部じゃない。

色々な好きの中の一つにある、
人には言わない好きがあるという感じです。

言葉にすると難しいですね。


もう一つ難しいのが、好きだから好きで居続けるわけでも
本気であり続けるわけでもなく
好きだなと思った瞬間に、好きになりたいです。

なんかよくわからないですかね。

好きだから、ずーっと好きで居続けるのは疲れてしまう
だから、好きなときに好きでいればいいって感じです。


ずっと好きなんて疲れてしまうから、
好きだけど気分じゃないなんてことを混ぜながらも
やっぱり好きって戻って来られたら
それこそがずっと好きだと思ってます。


大人になってから、昔好きだった作品の周年で、
イメージを象ったコラボレーション商品が
随分と増えて、実はこっそり買っています。

当時は好きだったけどグッズを買ったこともなかったけれど
今にして思うと、子どもだったこと以外にも、
如何にもを主張するデザインによる
作品への飽きが怖かったのかもしれません。

最近はアクセサリーや、備品管理のケース。
堂々と作品を主張する広告塔の作品よりも、
想起できるモチーフ的なものを愛してしまいます。

好みの問題ではありますが、
好きなものを好きだと言えるって大事ですよね。

そして、誰かの好きを否定せずに愛せるような
そんな場所がどんどん広がるといいなと思います。



少しだけ、書きたいことばかりを書いてしまいましたが、
あなたにとって好きなものを好きで居続けて愛する為の場所が
愛おしい場所で、安らげる場所でありますように。

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