見出し画像

幸せの片隅の一頁

こんにちは、こんばんは、おはようございます。

三日坊主がわかってしまう更新頻度になって、
すっかりこの場所の存在を忘れ去ってしまうところでした。

書きたいことはあるのですが、
本音や、本心を文章に書き起こすと纏め切れず、
脈絡のない話になってしまい、
一向に筆が進まないまま時間ばかりが過ぎてしまったのです。


そんな時、突然降って湧いたように届いたのは
某SNSのチカラというべきでしょうか。


友人からの「結婚報告」!!!


人によっては、
結婚報告と聞くと焦燥感を駆り立てられる方も
いるかもしれません。
他人の幸せが疎ましい方もいるのかもしれません。

「私は/僕は、幸せです!」

という自慢にも聞こえる言葉が嫌だと感じる方も
もしかしたらいるかもしれません。


けれど、二十の半ばを過ぎたあおいそらには
一向に焦る気配も妬み嫉みもなく、
ただひたすらに「おめでとう!嬉しい!」を
繰り返す壊れた人形のように幸せに満ちています。

現に本人へのコメントや、他のSNSにて
同様の主旨の書き込みを既に済ませております。。


仲の良い友人であれば妬み嫉みはないにしても
苛立ちを覚えると言う話を時々聞いては首を傾げます。

「誰かの幸せは幸せ自慢に聞こえて苦痛」

という思考がおそらくピンと来ていないのかもしれません。
不幸自慢における、自分はまだ大丈夫という、

「人の不幸は蜜の味」

については少しだけわからなくもないのですが
(この時点で歪んでいる己が見え隠れしてますが)
人の幸せを祝いはしても、妬む謂われはないと思うのです。

勿論、人によって思うところは異なるかと思いますが、
少なくとも、不幸からは不幸しか生まれないし、
幸せからは幸せしか生まれないのではないかと思うから。


綺麗事だと笑われるのは百も承知ですが
昔から思ってることがあります。


大事なあなたには、大好きなあなたには
ずっと笑顔で、幸せでいて欲しいです。


綺麗事って言いながら、大事な〜とか大好きな〜とかで
限定したのは、本心から、心から思ってることだからです。

極端な人間だから、好きな人と、特に興味のない人の
線引がはっきりしているんです。
だからこそ、数少ない大事な人たちには
楽しく笑っていてほしいって思うし
大好きだって思う人たちには、ずっと幸せでいて欲しい。

隣にはいられなくてもいいから
どこかで幸せでいて欲しい。

そう願うのです。
最後の一文、
これを理解してくれる人は周りにはいません。

何でかはわからないですが多くの場合、

好きな人とは自分が付き合って特別になりたいし、
大事な友人とはずっと連絡取り合って
時々ご飯食べて愚痴言い合って笑っていたい。

だそうです。難しい。
自分には自信がないから幸せにしてあげられる自信もない。
笑わせ続ける自信もないのなら、
大事な人にはもっと釣り合う条件の良い方が居るはずだと
そう思ってしまうのは、謙遜が過ぎるのでしょうか。


一時、この理解されない思考に悩んだ時期もありました。
「大事な人には幸せでいてほしい」という一点においては
同調できるのに、分かり合えるのに。

「隣に居なくてもいい」という一言が加わると、
なぜ分かり合えないのでしょう。



それから何年か経ってから、ある一曲と出会って、
間違ってなかったんだと知りました。

僕が出会ったあなたには 僕の大事な仲間には
幸せになって欲しいんだ 幸せであって欲しいんだ

SUPER BEAVER / ラヴソング

元々彼らの音楽が好きでしたが、この曲を聴いて
間違いじゃなかったんだって思いました。


だからこそ、声を大にして伝えたいんです。

僕が出会ったあなたには 僕の大好きな人には
幸せになって欲しいんだ 幸せであって欲しいんだ
誰も知らないところでさ 懸命に戦ってるだろう
幸せになって欲しいんだ 幸せに会って欲しいんだ
誰が何かを言おうとも 誰が何をいうかならば
とびきりの愛を込めて言おう あなたが幸せでありますように

SUPER BEAVER / ラヴソング


今日も、明日も、この先も
この片隅の一頁の中で出会ったあなたが
この空の下で、幸せでありますように

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?