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行き詰まりや不安に対して自戒を込めて

行き詰まりや不安などなどを感じるときに読み返すために少し文字を残しておきたい。主に自分に対しての言葉なので、他の人に共有する意味がどのくらいあるかは分からないけれども。

まず、自分の力で変えようがないことに悩んでも仕方がないということを受け入れて、自分の行動に目線の先を変えなければならない。自然法則や、現時点での技術の限界点や社会の仕組み、他人の気持ちなどは基本的には自分の手でどうこうできるものではない。すでに決まっているものは変えようがないということを一旦受け入れる必要がある。そういったことに悩んでても、それは有意義な時間とは言えない。それは、決して諦めろということではなく、自分が何をしたいのか、どういうことを実現したいのかとかについて考えるべきである。たとえ、気持ちの切り替えが難しいとしても。

これからに向かって進んでいる中で、行き詰まりや不安に駆られているのであれば、それは自分の中で明確な指針を持てていないか、想定と現実が離れつつあるからかであろう。明確な指針がないのであれば、一度立ち止まって具体的に問題点とそれに対する方策を書き出してみるといいと思う。大抵のことは取るに足りないことで、一歩づつ進んでいけば解決できるか、そもそも取るに足らない問題である。一方で、想定と現実が離れてつつあるのであれば、これ難しい状況にあるかもしれない。可能性としては、(1) 目標がそもそも達成不可能、(2) 目標設定は適切だけど方策が間違っているのどちらかである。

1つ目の目標が達成可能かどうかはなんとも難しい問題である。しばしば、達成可能であると信じて進むことでのみ達成できる物事が存在するから。その点は、自分の直感と感性を信じるしかない。どんな形であれ自分がこれまで積み上げた実績だけが自分の背中を押してくれる。多くの挑戦において遅すぎるということはないけれども、積み上げることして達成することは難しく、ダラダラと進めて何かを成し遂げるには人生は短すぎる。今日の自分が成したこと (学んだこと、見たこと、食べたこと、聞いたことなど全て) だけが明日の自分を作ることを認識しなければならない。目標達成可能かは、達成と思えるだけの日々を過ごせるかに重点をおいて考えたらいいと思う。そこまでのリソースを割けないと思うなら目標を変えるべきである。ただ、やってする後悔とやらずにする後悔は、どちらがいいかは別としても、質的に異なるものであることを頭に留めておかなければならない。

とはいえ、2番目の目標設定は適切だけど方策が間違っているということもある。何よりも、自分ごととして深く考えることは大切なことであるが、決して自分だけでこの広い世界を見通すことはできないことに気づかなければならない。 そして、それを脱するには新しい見方やブレイクスルーが必要である。今すでによく考えて進んできたと思うのであれば、過去の自分を信じて逆に他人の意見を聞きなさい。ただ慰めてくれる人ではなくても、違うと思ったことを違うとハッキリいってくれる人に。そして、そういう人は貴重であると認識しなければならない。多分、自分と違う意見を聞くというのは、痛みを伴い、聞き入れる手前の聞いているだけですらも不快感を覚えることがあるかもしれない。それでも感謝して聞きなさい。今は、分からなくてもそういった積み重ねが自分の視野を広げるし、いつか自分を助けることになる。

ここまで見返してみて全てやっと思うのであれば、あとは自信を持って臨むだけである。驕りは失敗を招くけれども、自分を疑って一歩踏み出せないのもいいことではない。言葉通り自分を信じなさい。

長々とまとまりがないことを書いてしまったけれども、現時点で何かに不備があるなら、原因を考えて方策を取ることが必要である。そして、変えれないことに悩んでいるなら、変えれる問題に変換して行動を始めるべきであるし、よくよく考えて進んできた結果なのであれば、今一度立ち止まって考えてみたり、他人の意見を聞きに行ったりする必要がある。そして何よりも、おそらく今の位置に辿り着いたことも多くの人の助力あってのことであるし、これから進んでいく道もそうであることを心に留めておかなければならない。そして、全てに目を向けて日々を送れているならば、自分を信じてあげなさい。

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