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Home ─駅前大通り20:26

およそ3年住んだ北鎌倉を出て、今月半ばに新しい町に引っ越してきた。2週間この町で過ごしてみて、ふと立ち止まって今の視点を記録してみたい。

今日も、昨日も、明る日も…。

引越し前の内覧時には、町の様子はそこまで気に留められていなかった。

2022年末、駆け込みで内覧させてもらったその日はクリスマスイブ。内覧の帰りに駅前のスーパーに寄り、品揃えをチェックした。年末の忙しない雰囲気が私の感覚を麻痺させたのかもしれない。「よし、日々の買い物はここで済ませられそうだな」と安堵し、町の全体像にまで意識を向けてなかったのだ。

そして、この町に越してきて、2日、3日、4日…と過ぎていく中で気づいたことがあった。

「そういえば、昨日も今日も閉まってるお店がやけに多い…。観光地の鎌倉は、観光客の少ない火曜や水曜休みの店も多かったけど、ここは観光地って感じではないし、どういうワケだろう…」

東京23区に生まれ育った私のそういった感覚?は、いつまでも鈍感で、のん気なものだった。この町の現状を知ったいま、恥ずかしいほどである。

そう、ここはシャッター商店街

それで、やっと脳裏に言葉が浮かんだ。

シャッター商店街

「町の名前 シャッター商店街」でググると、いくつかの記事がヒットした。そうか、ここはシャッター商店街なのだな。そこでやっと気づいたのである。

この町について、10年以上前に書かれたその記事にはこう書かれている。

このような事は

答えがある訳では無い問題だと思います。


大きな川の流れの一遍のようで

ある程度の時間が経過したときに

残っている姿が

「その瞬間」 の 「答え」

なのでは無いでしょうか?
横須賀の不動産屋から シャッター商店街③

それっぽいことが書いてあるような、ないような。少なくとも分かることは10年以上前からこの町はシャッター商店街とともにあること。

いつからこういう姿をしていたのかわからないけれど、10年という歳月を考えただけでも、なんだか考えさせられるものがある。

例えばこの町に「よし、この商店街の元気を取り戻そう!」なんて新参者がやってきたとしても、なかなか取り戻すことのできない歳月の積み重ねなのではないだろうか。
平日も休日も、昼も夜も、大寒波の日も、シャッターの行列をボゥっと見つめながら歩くと、そう現実の重みを感じざるを得ないのだ。


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