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「Tell Me A Bedtime Story」の凄さを語り倒したい 【熊さんのジャズ雑談】

緻密に張り巡らされた「仕組み」の凄さ

https://open.spotify.com/album/1pWRXAydf6sIrojLm5xb9l?si=SYTcwGz5Q4mAGMiD2q7M0g

この間、知人と「Tell Me A Bedtime Story」の話になったんですけど、そういえばこの曲のどこがすごいかということを知らない人がけっこういるよね、という話になって、そこでそんな人のためにも、ここで何がすごいのかということをじっくりと紹介してみたいと思います。

「Tell Me A Bedtime Story」という曲、ジャズ・ファンの間ではけっこう有名な曲で、たぶん多くの人はクインシー・ジョーンズ『Sounds...And Stuff Like That!! (スタッフ・ライク・ザット)』というアルバムのヴァージョンでよく知っているんじゃないでしょうか。この曲、元々はハービー・ハンコックの作曲で、彼の1969年のアルバム『Fat Albert Rotunda』に収録されていました。このアルバムは当時ハンコックが担当していた、ビル・コスビー出演のTV番組『Hey, Hey, Hey, It's Fat Albert』の音楽をジャズ的にアレンジし直してレコーディングした作品でしたが、アルバムも楽曲もリリース当時はさほど注目されなかったようです。
その「Tell Me A Bedtime Story」を、1978年にプロデューサー/アレンジャーのクインシー・ジョーンズが『Sounds...And Stuff Like That!!』で取り上げたことで再注目を集めることになり、様々なミュージシャンがカヴァーしたりして、今ではちょっとしたスタンダードのような楽曲になっています。その大きな理由はもちろん、とても魅力的なメロディとオシャレなコード進行にあるのですが、いろいろな人とこの曲のことを話しても、そのクインシー・ヴァージョンの「凄さ」というか、驚異的な「仕組み」について理解している人って意外に少ないんですよ。ミュージシャンやライターでも知らない人もいる。日本盤のライナーや「名盤紹介」といった記事でもその「仕組み」を解説していないものも多いし。
そこで今回は、そのクインシー・ヴァージョンの「Tell Me A Bedtime Story」の凄さについて、力一杯解説していきたいと思います。ホント、すごいんですから。
コーラスやハープなどでイントロが奏でられ、ミディアム・テンポのリズムに乗せてハービー・ハンコックのエレクトリック・ピアノがおもむろにテーマを弾き出します。テーマの2コーラス目はヒューバート・ロウズのフルートがメロディを奏でて、ホーンによるブリッジの後、またハービーとホーン&ストリングスによるテーマ、そして2分02秒あたりからハービーのエレクトリック・ピアノ・ソロが始まります。このソロは6分45秒あたりで曲がフェイド・アウトしていくまでずっと続くので、曲の約2/3,ほぼ4分40秒以上がハービーのソロということになります。超ロング・ソロですね。このハービーのソロは彼らしくてとてもカッコいい。でもずーっとソロが続いているような印象にならないのは、その「仕組み」と、要所要所でサビのコーラスとホーンが効果的に入ってくるからだと思います。このあたりのクインシーのアレンジ・センスはさすがです。さらに決して出しゃばらず、淡々としていながらも心地よくグルーヴし続けるアンソニー・ジャクソン(b)とスティーヴ・ガッド(ds)のリズム・セクションもさすがです。
そしてハービーのソロが始まって5小節目から、いきなりストリングスがハービーのソロにユニゾンで被ってきます。そしてその後、曲の最後までずっとエレピとストリングスのユニゾンによるソロが続いていくのです。アドリブ・ソロのはずなのに、エレピとストリングスがずっと同じことを弾いている。つまりこれはどういうことかというと、まずはハービーにアドリブでソロを自由にプレイしてもらって録音します。次にそれを聴き返して、ソロのすべてを譜面に起こすのです。譜面に起こしたのはチャールズ・ミンガスやリー・コニッツ・ノネットなどのアレンジを手がけ、"Human Xerox Machine"という異名も持つというサイ・ジョンソン。まず5分ほどのロング・ソロを譜面に起こすというのものすごくたいへんな作業ですし、なにしろ相手がハービーですからね。フレーズはカッ飛んでいるし、彼独特のタメや、32分音符の食いなども多発しているだろうから、それを完璧に譜面に起こしたサイ・ジョンソン、すごい。
そして今度はそれをストリングスで弾いて、ユニゾンでハービーのソロにダビングしていくわけです。しかしこれ、ストリングスかと思いきや、実はハリー・ルーコフスキーというジャズ・ヴァイオリン奏者が1人で弾いているのです。彼は1913年生まれで、このレコーディング時で65歳という大ベテラン。彼は『Stringsville』(1959年)というリーダー作がある他、クインシーの『Smackwater Jack』にも参加してましたし、ギル・エヴァンスやフレディ・ハバードなどとも共演してましたね。ちなみに「Walk Away Renée」や「Pretty Ballerina」のヒットで知られるアメリカのポップ・バンド“The Left Banke"のキーボード奏者であったマイケル・ブラウンのお父さんなんだそうです。しかもここではなんと15回もダビングしているらしい。ハービーの5分に迫るロング・ソロを、おそらくメチャクチャ細かい譜面を見ながら、音程だけじゃなくてリズムも合わせてユニゾンで弾ききるスキルはとてつもないものですし、それを15回も重ねるという気が遠くなるような作業を完璧にこなして弾ききったルーコフスキーさん、偉いっ! スタジオでとてつもなく長い譜面を見ながら、必死にヴァイオリンを弾いているルーコフスキーさんの姿が目に浮かぶようです。しかも譜面めくり担当者もいただろうし、メチャクチャ緊張感のあるスタジオだったんだろうなぁ。そしてこんな面倒くさいストリングスをレコーディングしたエンジニアのジム・マッカーディさんも偉いっ!
でもそれ以上に、そんなことをやろうって思いついて実行したクインシーはもっともっとすごい。現代だったら、サンプリングのエレピ音源とストリングス音源をMIDIでシンクロするだけで簡単にできてしまうし、もしエレピとストリングスを人間が弾くとしてもPro Toolsで1小節ごと、いや1音ごとでもレコーディングできますけど、これは1978年ですからね。アナログのテープ・レコーディングしかない時代。もう、気が遠くなるような作業です。聞くところによるとエンジニアのブルース・スウェディンが、後に彼のトレードマークとなる“Acusonic Recording Process”というテクニックを導入した最も初期のレコーディングだということです。これは各楽器を1chではなくステレオの2chで録って、よりリアルで臨場感を出そうという録音方法。今であればPro Toolsを使えばトラック数は無限に増やせますが、当時の主流はまだ24chのアナログ・レコーダーだったので、そんな録り方をしていたらすぐにトラックが足らなくなってしまいます。そこで彼はマルチ・トラック・テープの各リールにSMPTEタイムコード(映画のフィルムとサウンドとを同期するために使用されていた方法)を記録することによって、何本ものテープをシンクロすることを可能にして、実質的にトラックを無限にできるようにしたのです。つまり15回の重ね録りをしたストリングスのテープと、ハービーのソロやリズム・トラックを録ったテープとをシンクロさせてミックスすることによって、この超厄介な試みが可能になったわけですね。まさに当時のテクノロジーの限界ギリギリのところで成立させていたわけです。ちなみにこの“Acusonic Recording Process”、その後1982年のマイケル・ジャクソンの『スリラー』で大爆発することになります。
もう、何から何まで常識破りの発想と、それを実現させた実行力とそれぞれのスキルの高さ。ホント、このレコーディングに関わったすべての人がプロ中のプロというか、一切妥協せずに取り組んでいるところが素晴らしい。ハンパないです。もちろんその根本に、楽曲の良さとハービーのソロの素晴らしさがあるわけですが。
そしてそして、クインシーとブルース・スウェディンはこの曲にさらにステキな“魔法”をかけます。このハービーとストリングスのユニゾン・ソロ、出だしは両者がほぼ同じ音量でスタートするのですが、ソロが進むにつれてハービーの音量が少しずつ絞られていき、ストリングスの音量が少しずつ上がっていくのです。そして曲の後半ではハービーの音はほとんど聴こえず、まるでストリングスだけのソロのように聴こえるのですね。そう、ソロを取っているのはストリングスなのに、フレーズはハービーそのものという不思議な空間が生まれているのです。特に5分39秒-49秒あたりのフレーズなんて、まさにハービー・ハンコック。でも弾いているのはストリングスというパラレル・ワールド。このあたりのクインシーのアイディアとプロデュース力には心から感心してしまいます。冒頭でこの曲の「仕組み」を知らない人が多いということを書きましたが、それは普通に聴いてるとその「仕組み」に気付かないくらい、音楽として自然に流れているということなのだろうなと思います。恐るべし、クインシー・ジョーンズ!.
このクインシー・ジョーンズによる「Tell Me A Bedtime Story」は、当時の最高峰のミュージシャンたちの演奏、最高峰のアレンジャーの技術とアイディア、最高峰のエンジニアのテクニックと最新テクノロジーを、クインシー・ジョーンズというスーパー・プロデューサーがまとめ上げた、とんでもなくハイ・クォリティで、高い技術力が詰まっていて、それでいてとても洗練されていてポップで聴きやすいという、奇跡の名演なのです。ぜひもう一度聴き返して、この曲の凄さと素晴らしさを実感してみてください。

© 熊谷美広


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