35歳になった。

次男に全身蕁麻疹が出てドタバタしていましたが、昨日35歳になりました。声をかけてくれた皆さんありがとうございます。

35歳です。歳を取りました。
30代に入った頃から若手とは言えない歳になったと思っていましたが、35歳となればいよいよ「若い人がやっている」という目線で見られなくなる段階に来たな、と強く感じます。

とは言え、相変わらずフラフラしています。もうこれは一生変わらずフラフラしているだけなのではないかという気もしています。35歳ともなると「そういう奴だ」としか思われないのでしょうね。

私、というか「男の子」には、星空に手を伸ばし届かぬ星を掴もうとするように、いつかたどり着くかもしれない輝きを追い求める気持ちがどこかにあります。
それは「できるかもしれない」「できるのではないか」という願望です。つまり「ワンチャン感」です。

しかし、35歳にもなると、「できるかもしれない」という未来の可能性よりも、「できてきたこと」という実績の方が重視されるような気がしています。過去の延長線にしか未来はないということが、ようやく自分の生の実感となってきました。ワンチャンはもうないんです。きっと。

この実感は、私の社会や政治に対する考え方にも同じように影響してきました。若い頃は新しいテクノロジーや新しい思想で世の中は変わると信じていました。けれど自分も歳をとってきて、歴史に目を向けるようになってきたこともあって、そう大転換は起こらないのだということが肌感覚でわかった気がします。なので最近は「見果てぬ夢」に付き合うのにウンザリしてきました。地方創生も、ビジネスも、政治の左右の対立も、いかに煽るか、盛るか、上げるか、下げるかの宣伝・ブランディング・キャンペーン合戦ばかりのようで疲れます。

未来を変えられるのは、過去から今に引き継がれた活動であり、今も未来でも続けられる活動だと思っています。それは、基本的に地味な活動だと思います。たぶん、ニュースバリューもないし、ショーとしてもビジネスとしても、観光としても弱い「映え」ないことなのですが…。
でも、歴史の中で「できてきた」ことしか、未来にはの残せないのではないか、と思うようになってきました。
35歳。「魅せ方」「はじめ方」「大きな花火の打ち上げ方」よりも、歴史を参照しながら「続け方」についていろいろと考えていきたいと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?