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PROTO #003 【サラリーマンが会社の看板外して活動的な個人に囲まれるとどうなるかの実証実験】

解体前のビルを拠点に半年間限定で活動するプロジェクト「PROTO」に、THE★典型企業のサラリーマンであるYosukeが会社の看板を外し一個人として臨んだら、いったい何が起こるんだろう。そんなことを記していく連載です。(これまでのエントリーはこちら)

今日のPROTO

「1階のイベントスペース向けに30脚イスがほしい!」ってことで手ごろなイス探しをしつつも、仕事するメンバーもいれば箸をつくるメンバーもいればご飯をつくるメンバーもいる。そんな思い思いのゆるーい時間が流れてた。そして夜、メンバーのつくった絶品パスタに舌鼓を打ちながら、脈絡もなく様々なテーマについて話した。キャリアの話、瞑想の話、宗教の話、人生の捉え方の話、音波の話、竣工写真の話、疑似国家運営の話。。。そのなかで自分にとって新鮮な気付きを2つほど。

“考えすぎ” 

最近もっぱら悩んでいる自分の人生の意味について、モヤっと投げかけた。(悩みの詳細は巻末)そこで言われた一言。「そのこと考えていて楽しい?」その後も色々と話したけど、ようは「考えるのも大切だけど、自分の感性・直感と丁寧に向き合うのも大事だよ」と言う話だったかと。当たり前と言えば当たり前かもしれないけど、それを、本で読んで感じるのと、実際にそれを実行している人から投げかけられるのではワケがちがう。知らず知らずに頭でっかちになっていたかも。

“環境=培養液=Culture”

人を変える大きな要素はその取り巻く環境だという話をしていた時のこと。自分の周りの環境(=とくにそこにいる人たち)の変化が自身の成長に大きく影響を与えたと話すメンバーが、その環境のことを培養液と表現してた。どんどん自分に浸透していく成長の糧、といった具合だろうか。ちなみにcultureと言う単語には、(心を)耕すという語源でもあることから、培養液って意味もあるらしい。それを聞いてなんでか分からないけど妙に納得した。

(おまけ)Yosukeの悩み

考えすぎ、と突っ込まれた自分の悩みについて。最近、自分の人生の幸福度を最大化するのはどうすべきかを、次の枠組みを使って良く考えている。

 ①What=一度きりの人生、何を為したいか、②How=一度きりの人生、どうありたいか、③Others=外部環境(①ライフステージ、②会社など所属組織、③社会)の変化

この枠組みに当てはめると、自分のHowについてはいったん方向性は見えていそうなので、一向に見当のつかないWhatを見つけるべく努力すべきなのでは、というのが最近の悩み。この悩みの難しいトコロは、「Whatがない人生でも幸せな可能性は十分にあり、それは各々の価値観次第ではないか」ということ。“幸せ”は究極的には相対価値ではなく絶対価値。なので自分のWhatが何なのか分からなくて焦るけど、「Whatがない人生は不幸!見つけなきゃ!」とまで考えるのはちょっと強迫観念?とも思えるし、いやいやそれは自分への言い訳だ、とも思えてしまう。ただ少なくとも、「Whatを持っている人は強い!」と感じることは本当に多い。これまで出会った人や著書のなかで、スゴイと思わせるのは須らくWhatを持っている人。迷いがないし、モチベーションは無尽蔵。だからこそ単純に憧れるし、やっぱり自分のWhatも見つかればいいんだろうな、もしこのPROTOで自分のWhatについてヒントが見つかれば、、、なんてうにゃうにゃ言ってたら突っ込まれた次第。笑

また長くなってしまった。。。

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