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「なんかあの声が受け付けない」と言わずにまぁまずは1回聴いてみて

付かず離れずで6~7年ぐらい前からずっと聴いているバンドがいる。
クリープハイプだ。
9月8日なので、せっかくだから少し語ってみる。

最初のきっかけは何だっただろう…と思い返してみると、やっぱり『憂、燦々』だろうか。
大学のとき、ゼミ仲間が車の中で「吹き零れる程のI、哀、愛」を流していたり、CMで流れていて、耳にまとわりついていた覚えがある。

…耳にまとわりつくというと聞こえが悪いが、やはり最初は尾崎世界観のあの声が不思議で、すごく印象に残ったのだ。
"なんかあの声が受け付けない"と言うが、ある意味、脳がストレートに受け付けない声。

なのに歌詞は時にストレートすぎるほどにストレートだし、いやでもやっぱり基本はめちゃめちゃひねくれてるな…という、本当にそれまで聴いたことのない音楽で、ゆっくりと、徐々に癖になっていく自分がいた。
まさにクリープ現象のように。。

童貞を卒業したのは2014年のVIVA LA ROCKだろうか。
それはそれで気持ちいい初体験で、畳み掛けるロックサウンドに乗るとむしろあの声も心地良く感じた。
完全にハマったと確信した。

それからというもの、クリープハイプとの関係はずっと現在まで続いていて、ワンマンこそ2回しか無いのだが、フェスでは余裕で10回を越えている。
時々他のバンドに浮気してしまうこともあったけど…。

2回しか無いワンマンのうち一回は、仙台まで高速バスで会いに行ったほどだ。
このときに観た「熱闘世界観」のライブが本当に良かった。
まず「世界観」というアルバムが物凄く良くて、その少し前に出ていた尾崎さん著の「祐介」という小説と併せて、その表現力に驚くばかりで。

気付いたら尾崎さんの著書や関連本を5冊ぐらい読んでいるけど、小説やエッセイ、もしくはその時々の雑誌のインタビューを読んだりするとクリープハイプがいかに逆境やどん底を乗り越えてきたかが分かって、そんなバンドが鳴らす音だからこそ刺さるものがあるんだなぁと気付く。

尖って、荒々しくて、ひねくれた歌は最初は受け入れ難いかもしれない。
でもその奥の奥には優しさや哀愁みたいなものが潜んでいて、それを見つけた瞬間、途端にたまらなく愛しくなる。
それをまず強く感じたのが個人的には「世界観」というアルバムだった。

特に『バンド』という曲ではメンバーへの愛を歌っていて、結成10周年を迎えた昨年にもリアレンジされているのだけど、めちゃめちゃ感動するのでぜひ聴いて欲しい。

うるさいとか、受け付けない声だとか言うのは、その音や声が鳴っているからこそ言えるのであって、喜怒哀楽、感情を感じられるのは幸せなことなんだなぁということに気付かせてくれる。

そしてさらに、そんな日常の些細な幸せを大切にするような、今を肯定しているような「泣きたくなるほど嬉しい日々に」というアルバムを次に出すのだが、本当に最初に抱いていたようなイメージからは想像がつかないタイトルと曲達が並んでいる。

それは丸くなったということではなくて、元々あった愛しさが年々経つにつれて表に出てきたというだけなのかもしれない。

そんなバンドのライブが観たくて観たくてたまらなくなるのだけど、これがなかなかチケットが取れないもので…
先ほど述べたようにその分フェスに行きまくって、それこそほぼクリープハイプをお目当てに行くものもあった。

特に結成10周年となる昨年2019年にはビバラ、ロッキン、サマソニ、ぴあフェス…と様々な場所で観たのだが、トリを務める日も何度かあり、そのどれもが総じて本当に素晴らしかった。
もうバンドが覚醒しまくっていて、その瞬間にすべてを燃やすような衝動で駆け抜けていくようなライブを、観る度に披露してくれたのだ。

「もう失うものはないんで、かっこよく散りたいと思います」って始まる『栞』がめちゃめちゃエモかったのを思い出す。

クリープハイプは結成前にも尾崎さんを筆頭に何度もメンバーを変えてきたバンドなのたが、今のこのメンバーになってから、10年間、奇跡的なバランスで続いている。
年齢も境遇もバラバラなのにも関わらず。
その歪なバランスにまた惹き付けられるのかもしれない。

単純に音楽的にも、敢えて中心を外したような一筋縄ではいかないギターリフだったり、小説の行間を読むような奥深さがある歌詞だったり言葉遊びだったり…一度ハマると抜け出せないような魅力が至るところにちりばめられている。

だからどうか、「なんかあの声が受け付けない」とは言わずに聴いてみて欲しい。
1回だけ、1回だけでいいから…!