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記憶と記録、消えゆく「団地」

僕は子供の頃「団地」に住んでいた。
家族5人肩を寄せ合ってと言う表現がぴったりくるくらい狭い家だった。
子供が多い時代だったので、周りにはそんな家族がたくさんいた。

その団地が建て替えの為、僕の記憶にある風景が消えようとしている。
取り壊しまであと一棟と迫っていた。
数年前、残り二棟の時点で記録には残しておいたが、やはりあと一棟となると差し迫った気分になる。

団地といえば思い起こす風景が幾つかある。

まずは、大きな給水塔だ。
これはザ団地な風景ではないだろうか?
各家庭にここから水が送られていたんだ。
立ち入り禁止の柵を乗り越え、てっぺんから観る景色は最高だった。

次は団地の中にある商店街。
昼間は子供達のパラダイスで駄菓子やガチャガチャ、アーケードゲーム、ジャンプ、コロコロ、ボンボン、何でも揃っていた。

夕暮れ時には買い物をするお母さん達で賑わい、コロッケ、メンチカツ、ビールのケース売り、小さなお店は大盛況の大繁盛。

今じゃ考えれないよね。おそらく小さな成功者がゴロゴロいたんだろう。

あれから30年以上時間があったにもかかわらず、少子高齢化対策をしてこなかった日本。
僕らの生活はこれからどうなることやら…
もう取り返しのつかないとこまで来てしまった…
良かった時代を懐かしむ事しか出来ないのか?

今まで日本を作ってきた偉い人達に言いたい事は山ほどあるが、今回は団地のノスタルジーを感じる為に書いているので、今日の所は勘弁してやろう!

さて話しを元に戻すと、僕の中にある団地の風景としてもう一つ。
夜になるとポツポツと灯る部屋の灯り。
この灯りの下にはそれぞれの家族の暮らしがあったのだ。
当時はそんな事を想像していたわけでもなく、アイツの家まだ帰ってないや。
くらいで眺めていた。
あっ覗きじゃないよ。
確認程度でチラッと見てただけ。

僕の家は18時頃、仕事を終えた母が、帰りにスーパーで夕食の買い物をし帰ってくる。
自転車でキコキコね。
母は帰って早々に夕食の支度をし、風呂を沸かす。
その間、僕ら兄妹はテレビを観ている。

18時30分頃、部活を終えた5コ上の兄が野球のユニフォーム姿で帰ってくる。

19時頃、夕食がスタート。
兄妹3人、肉の取り合いが始まりケンカになる。
そこに父が帰宅。

夕食を食べ終えると、僕と妹は父と一緒に風呂に入る。

風呂から上がった父は晩酌を始める。
今日もお疲れ様。

母は一番最後に風呂に入る。
後は家族で一緒のテレビを観て寝る。

そしてまた朝が来て一日が始まる。
そんな何でもない暮らしを15年以上続けた。
あの団地で…
家族5人で…

そろそろ消えちゃうんだね。
記憶の中の存在になってしまうんだね。

裕福ではなかったけど暖かかったあの頃が懐かしい。
幸せだったな〜

あれから月日は流れ…

優しかった母は五年前に亡くなった。

父は脳梗塞と肺がんを乗り越えたが、昔の様な元気は今はもうない。

兄も妹も僕も家族を持ち、今はそれぞれの暮らしを送っている。

友人達も皆、団地を離れそれぞれの人生を歩んでいる。

諸行無常とはよく言ったものだ。留まることなく流れていくのだ。
なら昔の姿の団地が無くなり変わって行くのは仕方のないことなんだ。
ブッダすげぇ〜。
随分昔にそんな事解ってたんだね。
ブッダの旦那が言うなら、間違いね〜や〜

ならば僕は僕の家族と何でもない暮らしを大切生きよう。

数十年後、子供達があの頃は幸せだったと、思い返せるように。

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