流町へようこそ!! 6

 数ヵ月後、私は仕事を辞めた。
 応接室のソファに座って、セクハラとかマタハラとか何それみたいなうちの古い体制について、人事のひとがぼやくのを聞く。本来なら休みがちゃんととれて復帰できるようにしなきゃいけないのに、本当に申し訳ないです。いえ、入社した時から続けられないって聞いてたので。早く帰りたいなあと思いながら、鍛えた笑顔でやり過ごす。
 業務終了間際、臨時の終礼で当たり障りのない挨拶をする。営業のカトウくんと目が合う。そういえばカトウくんに理由含めて辞めるって伝えたときも、ええっ! って絶句してたなあ。ええって何だよ困りますみたいな顔するんじゃないよ。呆れて笑ってしまった。
「私は営業のお母さんではありません」
って、最後にちょっとだけ言ってみたかったな、とビルを出てから思った。冬の終わりの寒波が来ていて、雲のない高い空が少し寒々しい。

 電車に乗って帰る途中、マフラーをぐるぐる巻いて蛇みたいになっている女子高生が、どうぞ、と席を譲ってくれた。ありがとう。その子ははにかんだように笑って、次の駅で降りていった。
 ぼんやり車中を眺めていたら、吊り広告の中の、見覚えのあるキャッチコピーが目にとまった。

 二つの顔を持つ女。

 これからはモモイと呼ばれることもほとんどなくなるだろう。流町を訪れてから、職場での呼び名に対して違和感が強くなった。この前までずっと大きな割合を占めていた私の一面は、今は流町にいて、アイちゃんや猫のギンや私の知らない住人たちと楽しく暮らしている。そう思うとなぜか嬉しくなる。
 モモイって響きもわりと好きだった。小学生のころに『モモ』という本を読んで、主人公の女の子に何となく親近感を覚えたりもした。けっきょく、モモはどうなったんだっけ? 久しぶりにあの本が読みたい。
 電車に揺られていたら眠くなってきた。お腹に手を当てて、夢とうつつの間をゆらゆら漂う。不意に、音のないクラッカーが鳴って、見えない紙吹雪がきらきらと輝きながら舞った。胸の奥のほうから、じわじわと温かい気持ちがわいてくる。

 ようこそ。

 この世界へようこそ。

第二部『流町へようこそ!!』 終わり

#小説

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?