流町へようこそ!! 2

 夫は、自分の身にこれから起こる出来事を察知して、それに備えることができる。初めて聞いたときは、超能力じゃん、なんてはしゃいでしまったけれど、残念なことに本人は未来について知ることができない。予知ではなく予言もできない、ただ動かされる、言わば予動。夫の能力は、未来予動だ。
 その能力はしばしば隣にいる私を巻きこむ。まだつき合っていたころは、ラッキーだなとか、用意がいいなとか、そんなふうにしか感じなかった。けれど、結婚して一緒に生活するようになってからしばらく、私は振り回され続けた。そりゃあ、土砂崩れや交通事故を回避するのはすごいと思う。けど、そのために急に謎の腹痛に襲われてトイレに閉じこもるのはそれはそれで困るし、あと冷蔵庫が壊れる前に新しいのを買ってくるのはどうなの。何よりもムッとするのは、私が不機嫌なときに限って甘いものを買ってくることだ。嫁を予動の対象にしないでほしい。しかも本人に悪気がないからずるい。まあ、買ってきちゃったものは仕方ないから、おいしくいただくんだけど。
 最近ようやく慣れてきて、ちょっと不思議な癖、くらいの接し方に落ち着いた。こういう、長く一緒にいることで少しずつ変わっていくのは面白い。落ち着くまでは大変だけど、喉元すぎればなんとやら。
 夫の癖に慣れるにつれ、私にも妙な癖がついた。予動の予測。夫の言動を観察して、予動の内容を推測し、当たり外れを楽しむこと。当たる率は今のところ七割くらいだ。

 さて先日、その夫から不思議な話を聞いた。なにやら地図にない町に行ってきたらしい。男の子みたいな女の子アイに会ったこと、猫のギンのこと。
 話を聞いてすぐにピンと来た。そして推測する。夫が私に話すまでが予動なら、それはつまり私が近々その町に迷いこむことになるのでは。
 かくして推測は当たり、的中率は八割弱まで上昇、私は今こうしてわくわくしながら猫のギンの後ろを歩いている。遠くで赤い光が点滅していた。唯一の信号機、その下の「流町」の文字。本当に来ちゃったなあと思わず笑みがこぼれた。

 がしゃん、がしゃん、ぎいぎいと、錆びた音楽を撒き散らして自転車が近づいてくる。黄昏時、町は夕焼け色に染まっていて、まるで絵のなかに迷いこんだようだった。自転車は蛇行しながら進み、私の前でぎゃーっと凶暴な鳴き声をあげて止まった。
「よう」とその子は言った。橙のフィルターがかかったせいで緑色に見える帽子を目深にかぶり、チェシャ猫みたいににやついている。右手でくいっとつばを上げた。なんだ、ちゃんと女の子じゃないの、あのひとはこれだから、と思う。
「俺は」
「アイちゃんでしょ」
「えっ」
 目を丸くする。
「なんで知ってるんだ……? もしかしてあれか? 私が美少女戦士だからか」
 自分で言っちゃうのか。
「違うよ。それに、簡単に誰かにばらしちゃだめだよ。どこに敵がいるかわからないんだから」
「そ、そうか。わかった」
 神妙な顔をして頷く。素直な子だ。
「ん? でもあんたが敵かもしれないぞ」
 おっと、そこは疑うのね。
「私はあなたにコンパクトを渡した彼の、仲間よ」
「ああ、スズキか! じゃ、敵じゃないな」
 うんうん、と私は頷く。いい子だなあ。

「名前は、何て言うんだ?」

 鳥肌が立つ。何気ない様子で尋ねる彼女の後ろに、透明な巨大なものが座ってこちらを見ている。周りからも、物音ひとつしないのに、たくさんの何かが息を殺して様子をうかがっている、そんな気配を感じる。
 私はほんの少しだけ逡巡してから、言った。

「モモイ」

 その瞬間、私のからだは音を立てて真っ二つに裂けてしまった。

*

(続くのです)

#小説

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