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拾った手帳 2016年2月

 思い出が美化されていくのを黙って見ている。二つの円の中心は外側とかわらないということ、ただ時間が流れ、変わらない、変わらないねという言葉だけが墓標のように私たちの間の深い海に沈んで見上げている。海が墓標から腐敗していることに気づきながら、誰もが見て見ぬふりしている。
 捕捉されてしまえばあとはずるずると引きずられるままに、婉曲表現を用いた全員からのペナルティと、交錯し絡まり辿れない意図を俯瞰しているようで、何も見ずに、ただそういうことなのだろうという諦めだけが滓のように蓄積していく。きれいなもの。きたないもの。価値のあるもの。意味のない言葉。
 私は私で勝手に他人に期待しては幻滅したりしているのだった。見えないカメラによって切り取られるひとつひとつのピントを外していく。黙っていればいい、何もない、ほしいものはどこまで行っても手に入らない、ということをどうしてすぐ忘れてしまうのだろう。誰かが安っぽい人格を代弁する。輪郭線をなぞり、知ったような気になって別れる。私はあなたのことを知らない。

*

 部屋の外で風が空気を切る音がする。私の暮らす土地では聞かない音だ。吹雪だった。さっき帰ってきたときは雪はやんでいたけれど。雪が降っているか降っていないかではなく、風が吹いているか吹いていないか。
 トンネルを抜けると時間は逆行した。川は南から北に流れ陽は海に沈んだ。長い移動時間も相まって半ば非現実的に感じてしまうけれど、そこに生きて暮らすひとがいて、ずっとそこから出ないひともいるのだという事実にぞっとした。知らない場所でさえどこまでもひとがいる、そのことが恐ろしかった。
 電車から景色を眺めるのが好きだ。知らない街、通らない道、入らない店、見慣れない山、流れていくそれらを見て、私の踏むことのない土地での暮らしを想像する。都市部の住宅密集地帯は頭がくらくらするし、田舎は空が高い。先だって水の豊かな地域と少ない地域では人柄が変わるという話を聞いた。私は渇いているのだろうか、それとも満ちているのだろうか?
 両親が移民なので生まれ育った地を故郷と呼べずにいる。故郷とは土地ではなく例えば月の裏あたり、昔教わった橋の下あたりにあるのだと思っている。確固たる故郷を持ちそれを守ろうとするひとには反発してしまうが、それはやっかみなのかもしれない。
 私は旅行が好きではない。育った土地を離れたいとも思わない。離れる理由もないし移住するのも面倒という、消極的故郷みたいなものがここにある。

#文章 #断編

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