『あなたの名前を呼べたなら』

 美しいラブストーリー。メイドとして働きながら、鳥のような自由を夢見る女性ラトナの、運命が切り開かれる、ほんの数日を切り取る。
 インド・ムンバイの美しい映像は、まるで都市を問い続けるアジアの映画監督、ロウ・イエやジャ・ジャンクーの撮る中国、ウォン・カーウァイの撮る香港のようだ。
 その中にいる若い男女の浮遊と哀切は、インド社会の前近代的な雰囲気の中にあり、もどかしいくらい超保守的で、性的にもかなりナイーブな価値観の中にあるといえる。
 古い因習と階級格差に縛られた若者たちは、かつてあった前近代的な価値を葬り去った「振りをする」私たちからひっそりと隠れるように、愛の切実さを確かめ合っている。
 そして都市という共通項で結ばれた世界で、自分たちだけが取り残された哀しみを埋めようとしているようだ。
 口数の少ない彼らの見慣れない仕草からはオリエンタリズムが香り、主人公の女性の身体は細く震え、頼りなげに存在するのが、ある意味で古い世界の女性像を象徴していて、見る人はさまざまな感情を想起させられることだろう。

 公式サイトに掲載の監督のコメントに寄れば、「都市」の喧騒の中で繰り広げられる、インドのカッコ付きのリアルさを纏ったこの物語は、ほぼおとぎ話と言えるようだ。
 ということは(私は韓国のドラマを観たことがないが)『愛の不時着』が好きな人たちは、この作品のことも好きになるのではないだろうか。決して実現しない、ひとつの美しい夢の世界。
 ラスト、電話機越しに聞こえる「名前」を聞く彼女の表情は、孤独な星に一人取り残されたロボットが、時空を超えて届く遠い星の友人の声を聞いたような、さりげない無垢な感動を表しているようで、作り手によって、無邪気に、そして残酷に、永遠に放棄された「結論」に、永遠の憧れの美を見出すべきだろう。
 この一瞬のために映画の一時間半がある。物語だけが創出できるマジック。

 余談だけれど、主人公が朝、アパートで手洗いを使うために待つ長い行列に並ぶシーンで、彷彿するものがあった。そう、「メイドのトイレ問題」といえばこの映画『屋根裏のマリアたち』。
 そうだ、こんな映画があったはずだと、ふと思いついた。
(2020年8月25日記)


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