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公認会計士のゆる投資日記~クレディ・スイスのAT1債について

先月、経営不安に陥ったクレディ・スイスがUBSと合併するに際し、クレディ・スイスの株式22.48株当たりUBS株式1株割当てられるのに対し、AT1債が無価値になるという衝撃的なニュースがありました。AT1債はバーゼル規制と呼ばれる銀行規制上の特殊な債券で、筆者も米銀のTLAC債に投資しており、金融不安がどこまで広がるか他人事ではありません。
そこで、スイス金融当局のプレスリリースや、クレディ・スイスのAT1債のProspectus(目論見書)の条項を確認してみました。以下では、確認した内容を元に感じたことを記載したいと思います。

1.バーゼル合意と各国規制

バーゼル合意は、バーゼル銀行監督委員会が公表している国際的に活動する銀行の自己資本比率等に関するルールです。バーゼル銀行監督委員会は、日米欧など28か国の国・地域の金融監督当局や中央銀行などで構成され、銀行監督に関する協力・協議を行うための国際機関です。
バーゼル合意に法的な拘束力はないため、バーゼル銀行監督委員会のメンバー国は、それぞれの国・地域において合意に沿った規制を別途定めて導入することになります。バーゼル合意の内、主要となる自己資本比率規制について、日本においては、「銀行法第十四条の二の規定に基づき、銀行がその保有する資産等に照らし自己資本の充実の状況が適当であるかどうかを判断するための基準(平成十八年金融庁告示第十九号)」に定められており(以下、「バーゼルⅢ告示」)、国際統一基準行については、令和5年3月31日から改正告示(以下、「バーゼルⅢ最終化告示」)が適用されます。
メンバー国の導入状況については、バーゼル銀行監督委員会が同等性レビューを行っており、各国規制がバーゼル合意に沿っていることが担保される仕組みとなっています。ただし、各国の法律の枠組みや金融監督の方法は同じではないため、バーゼル合意の反映も各国の法制度の枠組みに合わせて導入されることになります。例えば、バーゼル銀行監督委員会のWebに掲載されているバーゼルⅢでは複数の選択肢が示されているのに対し、バーゼルⅢ告示には、日本の法制度を考慮してそのうちの一部しか反映されていないものがあります。つまり、バーゼルⅢが適用されているとしても、詳細レベルで国によって相違点がありうることになります。

2.AT1債とは

バーゼルⅢの原文では「additional Tier1」、バーゼルⅢ告示では「その他Tier1」とされている資本調達手段です。資本調達手段と記載したのは、規制上、負債形式だけではなく、優先株式としての発行も認められているためです。これらの資本調達手段は、債券であろうと優先株であろうと、規制上の要件を満たしている場合には、自己資本比率の分子に加算できることになっています。なお、バーゼル規制上の自己資本比率は、財務諸表の数値を使って一般的に算定されるものとは異なり、分母はバーゼルⅢのルールに従って計算したリスクに換算した資産、分子は規制上認められた自己資本のみとして算定され、一定の所要自己資本比率を維持することが求められています。
AT1はリーマンショック後に公表されたバーゼルⅢにおいて導入された資本調達手段で、自己資本比率が一定の水準以下に陥った場合等のトリガーが発生した場合には、元本が削減されたり株式に転換されたりする特約が入っていることが要件の一つとされています。この条項により、破綻に至る前に自己資本を厚くする事が可能になるため「ゴーイング・コンサーン時の損失吸収条項」とも言われています。一方、危機を脱して自己資本比率が一定水準以上に回復した場合等には、削減された元本や転換された資本が復活する条項を入れることも認められています。従って、AT1債は「コンティンジェント・キャピタル」と称されることがあります。
転換社債(新株予約権付社債)のように、転換権を行使すれば社債の償還金が株式の払込金額に充当される金融商品はありますが、一旦株式となったものが再び社債に戻るという商品はそれまでにはありませんでした。筆者は、監査法人勤務時代にバーゼルⅢの導入支援を含め、約10年間バーゼルⅢに関連する業務に携わってきましたが、バーゼルⅢ告示が公表された当時は、会計処理をどのようにするかについても監査法法人内外で議論しました。当時は海外での発行前でもあり、日本でどのような特約が付されるか明らかではなかったこともあり、実務指針等に定めるのではなく、大まかな方向性の確認にとどまりました。
今回の件で、日本の銀行がどのような性質のAT1債を発行しているのか、2022年度の第3四半期の日本の銀行の発行状況を全て調べてみました(持株会社化している場合にはホールディングスのみ)。因みに、AT1債が資本調達手段として認められるのは国際統一基準行のみで国内基準行には適用されません(国内基準行は適用される告示の条文が異なります)。その結果、AT1債を発行しているのは3メガ、三井住友トラストホールディングス、農林中金の5行で、国際統一基準行である10行の地銀の発行はありませんでした。このうち、半数程度のAT1債の条件を確認したところ、全て下記の同じ特約が入っていました。
● 優先株式ではなく劣後債形式での発行
● トリガーは、普通株式等Tier1比率5.125%を下回った場合
●  株式への転換ではなく、元本の全部又は一部の削減
●  元本削減後に、一定の事由を満たした場合には、元本の一部又は全部の回復が可能
従って、劣後債が株式に転換し、さらにその後劣後債に復活する場合にどう会計処理すればよいかという問題は、現時点では日本ではまだ起こっていないようです。


3.クレディ・スイスのAT1債と日本の金融機関が発行するAT1債との違い

2023年3月23日に、スイスの金融当局であるFINMAは、「クレディ・スイスのAT1債に関する問い合わせがあまりにも多かったので」として、当該債券が全損となった理由をプレスリリースで公表しています(FINMA provides information about the basis for writing down AT1 capital instruments | FINMA)。このプレスリリースにおいて、「Viability Event」に抵触した場合には全損するという契約条項に従ったため、という説明がなされていました。そこで、クレディ・スイスのAT1債について、バーゼルⅢ開示資料からどのような特約が付されているか確認してみたところ、
● 優先株式ではなく劣後債形式での発行
● トリガーは、普通株式等Tier1比率7%を下回った場合、又は「Viability Event」が発生した場合
●  元本の全額削減
●  元本の削減は一時的ではなく永久的(回復しない)
とされており、日本の金融機関が発行しているAT1債よりも手前の段階でトリガーが引かれ、かつ一部ではなく全額の償却で、元本復活条項もありませんでした。すなわち、トリガーに抵触した場合には、株式より先に全額損失となってしまうという投資商品であったことがわかります。
FINMAのリリースでは、「Viability Eventに抵触したため」とされていましたので、更に、今回全損となった対象債券13本のうち、1本のprospectusの「terms and conditions」に記載されている「Viability Event」を確認してみました。「Viability Event」は次のいずれかを意味するとされています(下記は筆者の翻訳・要約による)。
(A)    規制当局が下記の理由により、債券の償却を決定したことをクレディ・スイスに通知した時
- クレディ・スイスの資本を回復するために、従来の手法が適切ではない、又は実現不可能であり、クレディ・スイスが支払不能又は倒産に陥らないために不可欠と判断した場合
(B)    クレディ・スイスの資本を回復するために、従来の手法が適切ではない、又は実現不可能なため、クレディ・スイスが公的機関から臨時の支援「extraordinary support」を受けた場合

FINMAのリリースでは、「As Credit Suisse was granted extraordinary liquidity assistance loans secured by a federal default guarantee on 19 March 2023」とされており、「Viability Event」の(B)に該当していることが理由だということがわかりました。

4.劣後債への投資について

筆者も米銀のTLAC債というAT1債よりも上位(AT1債の上位にTier2債という債券があり、TLAC債は返済順位ではTier2債の上で、預金や他のシニア債券よりは劣後する位置づけ)の債券を保有していますが、投資前には目論見書や発行体の開示資料をかなり調べた上で投資に踏み切りました。バーゼル規制については、本業で導入アドバイザリーを担当していた経験から、日本の告示については理解していたものの、前述したとおり、米国の法制化では同じとは限らないためです。その際に確認したのは、トリガーの内容とトリガーに抵触した際の返済順位が、日本の規制よりも厳しいものになっていないかという点です。
 TLAC規制は、AT1よりもさらに複雑な規制であり、購入時に営業担当の方に“こんなマニアックな債券、一体どのような方が購入されるのですか?”と尋ねたところ“目論見書などを読み込んで投資されるのはお客様だけです、皆様〇〇銀行だから、という事で買われます。結構人気があります”という答えが返ってきました。私にとっては相当な金額でしたが、海外の劣後債を購入されるのは、この程度の金額が万一デフォルトしてもお財布が痛まない富裕層の方なのかもしれません。
お財布が痛むと困る自分としては、事前にかなり調べたつもりではありましたが、今回の件で、契約条項の確認はもちろんですが、債券の特約に当局の裁量が含まれている場合には、リスクが高いと考えるべきと思いました。日本であれば、同じ状況下でも当局はトリガーを引かないのではないか、そもそも契約上、負債と資本の返済順位が逆転することなどありえないのではないか、という思い込みが自分にもあったかもしれません。このような思い込みがあると、記載されている情報も見えなくなってしまう可能性があります。
 今回はEUに属していないスイスということもありますし、政策金利も1年前までは日本よりもマイナス金利であったところ、どんどん利上げし、FINMAからクレディ・スイスのAT1債に関するプレスリリースが公表された同じ日に、更に0.5%利上げを発表されたことも驚きでした。これも、日本では金融危機が起こりかけている時に利上げをすることは想定されないように思われます。海外への投資は、知らない事が多く、そのために想定外の事が起こりうるという事を今後の投資に活かしていきたいと思った出来事でした。


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