当時14歳のシン・エヴァ感想自分語り卒業式(ネタバレあり)

早速ネタバレありですからね!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!










うおおおおおおおおおおおおお!!!!!!アスカーーーーーー!!!!!アスカに好きだと言えて良かったよーーーーーーー!!!!!!!何年かかってんだよバカシンジ!!!!!!!!!!!!!!!!

それが自分が望んでた結末で、それ観れたから全部OK、許します。


ついに青春終わった感じするな。そんなにエヴァエヴァしてた38年間な訳じゃないし、そんなに青春ぽい時もなかったけど、なんかはたしかに終わった感じはする。

エヴァは中学2年のときに観ててシンジ君と同い年だった。ちょうど旧劇の最初のやつ(Death And Rebirth)がこの夏に公開だ、と社会現象真っ盛りのころに、クラスメイトの女の子からVHSを半ば押し付けられるように見せられてハマったのだった。その貸してくれた女の子とは思い出すと痛々しい気持ちになる思い出はあれど、付き合うとかそういうことはなかった。付き合ったのは大学生になってはじめて、今の妻だけだし(おめでとう。妻もエヴァリアタイであり、今日一緒に観にいった。その話はわたしの人生なので放っておいてください。そしてすべてのチルドレンに…って言うのももう使い古されたなあ)、アスカとその貸してくれた女の子の関係性がどうとかいう痛くてグッとくる展開やオチはないし、申し訳ないですけど、それよりも気持ち悪いしょうもない自分語りなので、期待しないでください


リアタイ中学のころに話を戻すけど、主人公が同い年でブームだからといってエヴァ好きはそんなに多くなかった。今はツイッターのトレンドでいちおうみんな知ってるね、くらいの感じだけど、あの頃は日陰者がこそこそVHSを貸して見せる感じで、観てるやつはなんかキモイという人がいてそっちがマジョリティだった。アングラ臭が少しするサブカルチャーで、それに世間のメインストリームまでが反応してるのでそれも新しいって状況だったように思う。東京とかでどうとかは知らんけど、地方ではそんな感じだった。(親もブームだから理解したいと、数年後に観てたりしたなあ)

はじめてVHSを観たとき、すでに貞本漫画版も3巻くらいまで出てたような記憶があり、それも一緒に貸してもらった…ような記憶がある(Wikipediaで裏取りしたけど1995年からエースで連載なのであってるぽい)漫画は3巻以降は結構空いてヤシマ作戦くらいまでで、VHSはマグマダイバーの話までだった。

あああああああ!!!マグマダイバーまでのエヴァ。わたしが好きな原体験としてのエヴァはそこで、同い年で同性のシンジが主役で、謎めいているけど破綻はまだなくて、みんな繊細で、世界観は大いなる現代社会のもっとも核心めいたものと繋がっているような気がして、プラグスーツのデザインや綾波の部屋に初めていくときみたいなエッチな要素があって、ずーっとセミの声がしていて夏休みみたいで、レイがいてアスカがいた。

あのころ彼女らは一緒に協力しあって、謎めいた人類の敵との、大いなる世界の秘密をすべて解決するための戦いを生き抜いていく戦友であり、まだ中学生だった自分の憧れとしての恋の対象だった。

よくテレビ版の評論だと、死を至る病の回くらいからエヴァは内省世界の描写を採り入れはじめて、それからどんどんエスカレートしていったように言わてた記憶がある。クオリティもそこらへんから一気に荒く、ピーキーになっていく感じがあって、制作状況もギリギリだったのか、マグマダイバーくらいまでの丁寧な良いアニメという感じはなくなって、それから二度と戻らなかった。

もちろん、エヴァをエヴァ足らしめたのはエスカレートしていって放送事故みたいになっていったTVシリーズ最終話の伝説から、旧劇場版に至るセンセーショナルな過剰性や、難解造語だらけで考察呼ぶところだったとは思うし、それないとブームになってないし、まさしく中二病的にそこにもやられたとも思うんだけど、自分にとってはキャラクターがそれよりも何よりも大きかった。シンジという革新的なキャラを軸として、レイとアスカという2大ヒロイン、この3人が作品にハマる理由のほとんどを占めていたと思う。

マグマダイバーまでのエヴァというのは、テレビ最終話で学園ものを揶揄してやるところからも、あの頃の制作側から否定していた側面だったように思う。エヴァは新世代の旗手としての自負があり、それまでのアニメのベタい要素やそれにはまるアニメファンを猛烈に攻撃していた。旧劇で観客席が実写で映される、みたいなメタな演出が有名だけど、エヴァはリアルタイムな14歳へというよりは、それよりはちょっと…というかかなり年上のオタクの人を観客の想定として攻撃的なメッセージを発していたように思う。これまでのベタはダメだ、変わらないとダメなんだというのが作品のアイデンティティだった。

旧劇は一人で観にいった。年上のオタクな人たちもいたし、そうじゃないブームが気になる大人も多かったが、同年代はポツポツと見かける程度だった。小遣いもらってる子どもだからだとも思うけど、ヤマトやガンダムに続くアニメブームだから観にいくという側面が強かった。

旧劇はAir終わって中間の回るスタッフロール観ながら本当に吐きそうになってたのを覚えている。それは、シンジが目の前でカヲル君の首が吹っ飛ぶのを観たショックと同じようなもので、好きだったヒロインがメチャクチャ痛がって惨殺されたのに、何もできないしようとしないシンジに心底失望したからだった。胃にくる感じがありながら、心は冷たく言葉が出てこない、そんな状態になることは人生で初めてだった。

旧劇の後半は、まるで目の前で関係のないカーニバルのようなものが繰り広げられているような気分で、ぼーっと眺め渡していたのを覚えている。もう一人のヒロインであるレイは不気味に巨大化して、グロテスクに崩れていく。エヴァ初号機はなされるがままで、うすら寒い祝祭の歌が流れていって、人みたいな無数の何かが無機質に画面いっぱい踊っていた。残ったのはアスカとシンジの2人のみ。しかし、そこで行われたのは全く行動心理が理解できないアスカへの首絞めと、アッサリとした、え?今なんて言った?と聞き逃しそうな「気持ち悪い」。映画館の帰り道、本当に凹んで帰ったし、数日ダメージも負ったし、エヴァ好きだった同級生とも一切映画の内容については話さなかった。

旧劇で負った傷というのは、得られなかった結末に対してのものではあるが、それよりも最初は共感し、ともに成長して、ともに戦っていくはずだったキャラクターに対してのものだったように思う。どうしてアスカを助けなかったのか、どうして首を絞めたのか、どうして気持ち悪いと言い放たれたのか。それの答えがないから、やがてエヴァぽく理解不能に、攻撃的に振る舞うようになったところもあったように思う。傷つけられる前に傷つけて逃げてしまえばいい。そんな風に作品に影響されて、うまく他人と付き合えないことをエヴァのせいっぽくして青春を送っていたように思う。本当はもっと素直に、レイを助けて、アスカを助けて、傷つけずに逃げずに助けて、好きだと言いたかった。


今回のシン・エヴァンゲリオン、新劇場版の結末は序の時点で、この方向に向かうこと自体はなんとなく分かっていた。結末が読めるというより、そうしてくれないとなんでもう一回やるのか分からないし、最初の庵野監督の声明からも当然それをやるんでしょという気持ちがあった。監督の人生のそれからの幸せになっていった経緯はとっくに知ってたし、序の時点でも散々大人になるとかなんとか言われてたし、成熟したエヴァンゲリオンになること自体は目的そのものだったじゃないかと思う。観客の人生、なんて押しなべて語れないけど、少なくとも自分は時間が経ってとっくに大人になっていたし、成熟なんていうのは古来から退屈なテーマなわけだし、それは当然そうなるだけであって、ストーリーに期待したいところでもなかった。

一方で、破でアスカをトウジの代わりにキャストしたり、Qでまたセンセーショナルだったエヴァンゲリオンをやりたくなっただろう急展開にすることにも、特になんとも心が騒ぐことはなかった。別にそこじゃないんだと庵野監督に言いたかった。

落とし前、と作中でシンジは言ったけど、落とし前ということが制作側の認識であることに、改めて少し驚きはある。何にたいしての落とし前かというとそれはベタには作中のキャラクターとして運命への落とし前だが、メタにはお客さんに対してであり、エヴァのストーリーに対しての落とし前であるのは明白で、言い換えればマグマダイバーまででやってたテレビ版当初からの話への決着をつけましょうということである。エヴァはかつて自らが否定したものに見事になったし、それを認めて自らやり、終わらせた。言葉に改めてするとそういうことなのだ。

それは本当にベタな、中2のときに欲しかったキャラクターたちのそれぞれの結末で、よくある結末でも、意外でもなんでも良くて、話が終わってこうなったね、ということだ。

ゲンドウがシンジの中にユイを見出だし、救われた。レイがクローン人間ではなく、自分であっていいと思えた。アスカが寄りかかれる人を見つけた。一人ひとりのキャラクターにとって幸せな結末というのは、刺激がなく退屈なものかもしれないけど、こんな簡単なことが簡単ではない、としてエヴァ以後の影響を受けた作品は複雑になったし、好きな人に好きだというタイプの作品だとしても逆にストレートでアツいからから良いのだ(グレンラガンとか…)とか影響を与え続けた。

もちろんエヴァが全部のせいだというと過大評価だろうし、ある面では推ししか勝たん時代では古いものとしてとっくに終わっているし、一方で相変わらずベタを否定して進化を続けていく作品も今後も多いのだろうけど、エヴァはそれをちゃんと締めた。一つの時代は終わったのだ。

シンジはアスカにやっと好きだったと言えて良かった。あの頃同い年だった観客は、とっくに好きだと言ったり、言えなかったりして時を過ごしたけど、24年越しでキャラクター達はようやく終わった、やっと言えた。おめでとうとか、気持ち悪いとかではなくて、好きだったと。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?