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さようならキューティクル

髪の毛が100本抜けた。白いシーツに散らばるそれは昨日まで体の一部だったとは思えない。と言っておセンチになるわけでもなくフハハハと言いながら淡々とコロコロで粛清を始める。

どのタイミングでバリカンを入れるべきだろうか。抗がん剤の副作用で脱毛が始まることは覚悟していたが、髪を刈る決心はまだできていない。このままほったらかしにしていたら日に日に抜ける毛の量は増えていくだろう。毎朝、起き抜けに死んだ細胞とご対面するのは寝覚めの良いものではないだろうし、シャワーで排水溝に溜まった彼らを見る度に「仄暗い水の底から」を思い出してゾワっとするのもなんか嫌だ。

一応、入院前日に行きつけの美容院に行っていたのだが、いきなり刈り上げる勇気も出ず、中途半端な長さとモヤモヤを残したまま、いつも通り店長とくだらない世間話をして出てきてしまった。

髪を刈るのが惜しい理由は他にもある。なにを隠そう。僕の髪はキューティクルの塊だ。自分の平凡で貧弱な体の部位で唯一のアイデンティティだった。それも全盛期のビートルズを訪仏させるようなマッシュスタイル。ビフォーがそんなブリティッシュかつナチュラルテイストの髪型だったものだから、アフターは匠の力ではどうしようもない劇的に悲惨な欠陥住宅になるのではないか。なんということでしょう。ほんとHelp!って感じだ。

自分のハゲ姿を想像してみる。生え方の強度的に後ろ髪とモミアゲが最後に残留する気がする。前頭部と頭頂部から禿軍が侵攻してくるとして、月代(さかやき)の部分が戦場と化し、焼け野原になるだろう。ということは必然的に落ち武者になるのか。そんないたいけな未来の自分の姿を想像すると、いっそのこと今、一思いに刈ってしまったほうが楽なのではなかろうか。自問自答。繰り返されるeveryday。僕は光を求めている。

ちょっと休憩。

イヤホンからレミオロメンの南風が流れている。「いつもしんどそうに歌うよなこのボーカル」と思いながら聴いている。サビに差し掛かる度に「もうやめて~やめたげて~」と思う。それでも結局のところ好きなのだ。別にボーカルの口元にある大きなホクロの存在が僕をレミオロメン好きにさせた理由ではない。単にレミオロメンって言葉の響きが語呂が良くて好きだ。もはや私はレミオロ男(men)だ。一体なにを言っているのだろう。先のことを考えるのが嫌すぎてちょっと話が脱線してしまった。軌道修正する。

どうしよう。結局どうしたら踏ん切りがつくだろうか。ええい、いっそのこと去りゆくアナタへ〜鎮魂歌(レクイエム)をお贈りして弔おう。


絶え間なく抜ける髪の毛を
永遠と呼ぶ事ができたなら
帽子では誤魔化す事が
どうしてもできなかった
切なさの意味を知る

提供元:GLAY / HOWEVER



しかしながら、
今日もいい天気ですな。どーも床屋日和です。


さようならキューティクル
バイバイ、スウィートマイヘアー

禿

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